見出し画像

「努力」と言う言葉が嫌いだから、分割して考えてみることにした「努」と「力」だ。そうしたら、ほんの少し気分が楽になった(笑)ゆめはげまぬはおろかなりや つとめてこれをまっとうするの巻

皆様は「努力」が好きですか?

私は嫌いです(笑)

なので、「努力」という言葉を分割して「努」と「力」にすると、印象が変わるのでしょうか?

ちょっと、ネットサーチしてみました。「努」

「努める」と「ゆめ」だそうです。

「努める」のは

きっと。ゆめ。なのですね(笑)

ゆめの使い方は

コトバンクによると
https://kotobank.jp/word/%E5%8A%AA-579205

努力の「努」を「ゆめ」にして

漢字ペディアより「力」を検索すると
http://www.kanjipedia.jp/kotoba/0007193700


という事は、合わせると

「ゆめ」「力勉める」如くなり

「気をつけて力を込め勉(はげ)めよ」

ということになり、

「ゆめ」を強調すると

「ゆめゆめ」「力勉める」如くなり

https://kotobank.jp/word/%E5%8A%AA%E5%8A%AA-652366#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89

「心して力を込め勉(はげ)めよ」

ということになるわけですね。

ちなみに「つとめて」というのが同じということで、こちらも検索してみました。


「つとめて」は古文辞典によると
https://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%A4%E3%81%A8%E3%82%81%E3%81%A6

これはちょっと違いますかね。

ただ、「つとめる」のは「早朝」が良いのでしょうか?
朝活っぽいですね。

古く使われていたのはこちらなのだろうか?
朝起きるのって大変ですからね(笑)


「努めて」

「努めて」は「できるだけ」で良いそうです。

「気をつけて」から「できるだけ」ということになりました。

「できるだけ」「力を込めて勉(はげ)めよ」

どんどん優しくなっていきます(笑)

ウィキショナリーによると
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%A8%E3%82%81%E3%81%A6

「わざわざ意識して」「力を込めて勉(はげ)めよ」

「なんとか骨を折って」「力を込めて勉(はげ)めよ」

少しニュアンスが変わりましたね。

これは「勉(つと)めて」の意味のほうが強調されているのでしょうか?


ということで

「勉(つと)めて」はどんな意味なのでしょう。

まずは「勉」ですね。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8B%89

実はこの「勉(つと)める」の方が、「力」に寄り添うように使われていますね。

先程から

「力を込めて勉(はげ)めよ」とカナ振りしていたのは、「力を込めて勉(つと)めよ」として読むこともできますが、敢えて「はげます」を選んでいました。

「はげます」は「ひとに力を出させる」のだそうです。
「勉」は、自分が「力を尽くす」というのもあるかもしれませんが、「ひとに力を出させる」というのもあるのですね。

だから、努力と言う言葉は、自分が使う「力を尽くすぞ!」という言葉以外にも相手に使う「力を出せよ」という言葉として「努力しようぜ」と言うことがあるのですね。

それは「はげます」という気持ちが伴うことで、成り立つのでしょう。

今以上を望むための「努力」、「もっと頑張れ」とは少し意味合いが異なるように感じました。


他にも「勤(つと)める」「務(つと)める」と言う言葉があり

ヤフー知恵袋に違いがベストアンサーとして書いてありました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1055919645

まず「勤める」からですが、ここにも「励む」という言葉が使われています。

仏道修行をする・勤行というのもあるそうですね。それは、人のことを思い励ます為に行う仏教の行為だそうです。

ウィキペディアによると
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A4%E8%A1%8C

「おつとめ」とも言うそうです。

勤務するのは「おつとめ」なのですね。「仏道修行」なのかもしれません。
そこには「ひとに力を出させる」という「はげます」が伴っているように感じます。

仕事に励むのは「ひとに力を出させる」事を意味するものなのかもしれません。


次に勤務の「務(つと)める」も見てみました。

「仕事につく」「勤務する」というのは

「役目を受け持ち」「人に力を出させるおつとめ」をするという事になります。

役目のない仕事というのは存在しないわけですね。

何かの「役目を受け持つ」から仕事なのでしょう。


ではもう一つ「力勉(つと)める」「力(つと)める」を深掘りしたいと思います。

Goo辞書には
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/147796/meaning/m0u/

無理したり、我慢したり、堪えたりという使い方が意味として載っています。

これが「力」なのでしょうか?

タロットカードに「力」のカードがあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B_(%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88)

「無料占い相談所」のページには
https://jw-elishia.com/tarot/strength/

正位置に

「自分を強く持ち、コントロールする」や「自分を知ることで、成長する」というようなことが書かれています。

逆位置には

「自己中心的で、自惚れが強い、忍耐が足りない」などが入っていました。

力カードの意味する所は、「勇気」「寛大」「名誉」なのだそうです。


「無理したり、我慢したり、堪えたり」とはちょっと違うようです。

私たちはいつしか、他人を励まそうとするあまりに、忍耐強くあろうとするあまりに、行き過ぎてしまっていたのではないでしょうか?

すなわち、前向きな姿勢と強い意志を発揮しすぎている「過学習状態」なのだと思います。


努力という言葉を追求するために分解していたら、いつしか「力」「力」「力」の三銃士になってしまい、本来の「努める」「勉める」を見落としているのかもしれないと気づきました。


「力」とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B_(%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6)


力が過学習状態になると「我慢」を生ずるらしいのですが

我慢の「慢」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%A2

「我慢」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E6%85%A2


「我慢」は強い自己意識から起きるもので、「ひとに力を出させる」という「励む」部分が欠落した状態であるのが想像できます。


「努力」と言う言葉には「ひとを想う気持ち」が不可欠なのではないでしょうか?

決して「無理したり、我慢したり、堪えたり」しないよう、できるだけ気をつけて勉めよ♪


Weblioの「英和和英辞典」では「力める」は
https://ejje.weblio.jp/content/%E5%8A%9B%E3%82%81%E3%82%8B

闘争、試す、学ぶということのようです。

耐え忍ぶようなイメージはなく、何度も飽くなきチャレンジを繰り返し続けるというイメージが強いようです。

これはまるで「阿修羅」のようですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%BF%AE%E7%BE%85

「努力」する時のあなたの形相も、「阿修羅」のようではありませんか?

「阿修羅」には善神と悪の2つの側面があるのです。

「努力」にも2つの側面があるように見られます。

「慢心」には気をつけましょう♪


ちなみに「努」を更に分割すると「奴」の「力」だ(笑)

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 250

いつもサポートありがとうございます♪ 苦情やメッセージなどありましたらご遠慮無く↓へ https://note.mu/otspace0715/message