パリオリンピックと言うもの有りけり、されど吾はカンショウセザリか
今年、パリオリンピックが始まったらしいと言う噂を聞いた。
わたしのスマホアプリにコークオンアプリがある。喉が渇いたとき、自販機に向かってかざすあれだ。
そのアプリによると今年はパリオリンピックのスポンサーらしきモノになっているのか、アプリを開く度にミッションとしてのパリオリンピックが幕を開ける。
ああ、今年はパリでオリンピックなのかと……
そうこうしていると、わたしのお気に入りテレビ録画時間枠に、時間枠が変更され差し込まれるパリオリンピックが録画され始める。
開幕したんだなと、見もしない録画データをひたすらに削除する時間に費やされる。録画できる時間にも限りがあるからだ。
こうして、わたしとパリオリンピックとの関係は始まった。
オリンピックそのものには関心も意義もあると考えている。
オリンピックを行う事や、この行事が未来永劫行われ続ける事には関心がある。
腐敗しても復帰できる芯の強い運営管理を行い続けて欲しいとも願っている。
しかしだ、どんな選手が活躍して、どこの国のメダル獲得数がどの程度なのかについては、全くと言って興味が惹かれない。
そもそもスポーツを観賞して楽しむという道理を理解していないのだろう。
根性論も暑い汗もチームプレイもさほど興味を惹かれない。
ただ、ある程度はミーハーなので、ニュースに名前が上がる選手だけは、横目でチラ見する程度には見るのだろう。
そのニュースがスポーツと関わりがなく、選手の努力とも関係がなく、どんなプレイをして来たのかについて、活躍を華々しく説明するニュースなら喜ばしいものだが、そうならないメディアの品性というか何ていうか、ため息をこぼしてそんな話が聞きたいわけじゃない。なんてコトになるのが常日ごろである。
そのうち、流行語大賞を狙い撃ちするかの様なメディア戦略が始まり、よくわかりもしないのによく聞かされる言葉が生まれて、どんな選手がどんな気持ちで言ったのかも理解しないまま、その流行り言葉をミーハー気分で使う事になるのだろう。
そんなこんなでわたしの今年のオリンピックは幕を閉じていくのだろう。
次にどこでオリンピックが開かれるかにも興味は無いが、次の四年後もこれまでと同じようにメディアが騒ぎ出して、そのニュースにほんの少しだけかじりつく平和な世の中であって欲しいと思いながら……
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