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蟻とガウディのアパート 第17話(第ニ章)

「形見」前編

 当時、マドリッドとカディスを結ぶ在来線の時刻表は、体裁ばかりのものだった。
30分や1時間待ったとしても、なんの違いがあるんだ、と言い含められるような時間の流れ方だった。 駅のベンチは、いつ到着するのかわからない電車を待つ人の社交場となることがあった。

 レブリハでコンチャのレッスンを受けた帰り、いつものように駅のホームで電車を待っていると、ハンチング帽をかぶったおじちゃんが、私を見つけて話しかけた。
「チニータ(中国人の女の子)、ここまで何しに来たの?」
アンダルシアの片田舎に住むスペイン人にとって、中国も日本も同じ国だった。 
私はまず、「中国じゃなくて、Hondaと Kawasakiと Sonyの国から来たの。」と前置きすると、おじちゃんは、「ホデー!」と言って、目を丸くした。 その頃スペインでは、ホンダやカワサキのバイクや、ソニー製品は特別な品だったのだ。
「日本から、フラメンコの踊りを習いにきてるの。」と答えると、おじちゃんはもういちど目を丸くしていた。 

 コンチャは常々、「フラメンコの踊りのナンバーワンは、ファルーコだ。」と言っていた。 彼女の家族や友人も、ファルーコがどんなに素晴らしい踊り手かを、身振り手振りを交えて熱っぽく語った。 フラメンコを愛するヒターノたちは、彼らの社会にファルーコがいてくれることを誇りに思い、心の拠り所としていることを知った。
百獣の王みたいだ
と私は思っていた。 サムライの国から来た小動物みたいな私に、ファルーコはフラメンコを教えてくれた。

 鷹のように腕を広げること、柳のようにしなること、馬のように脚を使うこと、黒豹のように歩くことを。 

 ある日私が、「スペインの女の子は、みんな耳にピアスの穴を開けていて、羨ましい。」
と言うと、ファルーコは、「ワタシが開けてあげよう。こんど準備してきなさい。」
と言ってくれた。


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