蟻とガウディのアパート 第八話(第一章)
「きせもと」
重たい扉を押して、その店に入るのが好きだった。
ラーメン屋きせもとは、カウンターの中にいる老夫婦が幼稚園児をにこやかに迎えてくれること以外、一切が普通のラーメン屋さんとは違った。
壁二面には棚がしつらわれ、おびただしい数の置物が並んでいた。
東アジアの工芸品や日本の骨董品だったと思う。
細い首筋の上に乗せた小さな顔に切れ長の目尻を描いた人形
唐草模様の陶器
ピンク色の花が染め付けられたアルコールランプ等々
それらの横顔を、円錐形の傘をつけた電気スタンドの明かりがやわらかく照らしていた。
人形の頬には刷毛で油をひいたような艶を与え、赤く塗った唇の下には新月ほどの蔭りを与えた。
赤いガラス皿は、プールの底に沈んだ目が捉えた、赤く透き通った細胞膜のように見えた。
置物ひとつひとつが放つスパイスのような趣が調合され、店の空気は見事に熟成されていた。
目に留まるものは毎回違った。
あるときはよそよそしくそっぽを向かれ、あるときは子供に布団をかぶせて、どこかの国に連れて行く使者のようだった。
飴色のガラスビーズの暖簾に隠れて店の奥に鎮座していたのは、幼稚園児の身体の大きさと同じくらいの、コンゴウインコだった。
(今ではあり得ないことだ。 近隣の古い店を訪ねて聴いてみたことがある。 「ああインコ、いたねぇ。」と店主は言った。)
赤・黄・青の、目にも鮮やかな原色が、頭から尻尾まで順番に並んで羽を染めていた。
インコは首をかしげ、老夫婦と同じようにいつも微笑んでいるように見えた。
そのころ、幼稚園の同級生達は、一対の小さなバレエシューズのような羽をもらって、空を飛ぶ練習をしていた。
白や薄ピンクのサテン生地で縫われた、小さな羽。
ハンカチ落としのハンカチと違って、私に回ってくるものではないことに、うすうす感づいていた。
私にとって最も美しい音楽は、母がおもちゃの赤いピアノで弾いてくれる「月の砂漠」だった。
雷が鳴り止まない夜、「鍵っ子」の私は、ぬいぐるみの犬を抱いてひとり泣いた。
そんなときは、押し入れに籠もらなくてはならなかった。 隣に住むおばさんが、心配して見に来てしまうから。
コンゴウインコの背後の壁に、大きな黒い穴が開いていた。 トンネルの入り口だった。
私は闇を照らすランプシェードを与えられ、トンネルの中を横へ下へと進んだ。 音楽に出逢い、本と絵に出逢い、フラメンコに出逢って踊りを生業とした。
トンネルに足を踏み入れた日から30年後、竜の背骨の形をした手すりを伝って階段を昇ると、白い骨の壁に囲まれたサロンに出た。 スペイン建築界の奇才、アントニオ・ガウディが手がけたアパート、「カサ・ミラ」の一室だった。