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「濾」

我が家の朝は。遅い朝も早い朝もコーヒー豆の匂いと。アールグレイのベルガモットの香で始まるのが定番です。コーヒー党のやっちゃんと紅茶党の私の何年も続く朝です。思えば電気式のサイフォンを使ったり。陶器のドリッパーとか。プラスチックのドリッパーとか。コーヒーに関してはその時その時の気まぐれなセレクトだったなと。目の前の新しいサイフォンを見ながらコーヒーに興味を持ちはじめている私がいます。

実はこのところ雑貨屋さんを覗くたびに夫婦でサイフォンを巡る旅をしていて。そろり1年かな。あまり大袈裟な表現で報告するのがためらわれるのは。なんと!量販店でありますニトリさんの商品で落ち着いたのです。しかも、まあまあの長旅の疲れもあってか。飛び切りのサイフォンを手にしたような感動があるのをお互いに隠すことなく笑顔にしていました。

サイフォンにお湯を注ぐやっちゃんがコーヒーの香ばしい匂いを作り出しています。もちろん。サイフォンが新しいものになったらからといってベルガモットの香りが無くなることもなく。変わっていくものと変わらないものはうまい具合に調和しています。

今回のサイフォンはガラスのひょうたん型。で、くびれの曲線部分に私の手が入るものなので。ひょうたんの底の底まで充分に洗えます。此処は私のこだわりで洗うときのストレスの心配ありません。やっちゃんは紙のフィルターを卒業したいとの希望を叶えました。

こうして私たち夫婦のサイフォンの旅は終わりを告げたのです。

「ひょうたんから宇宙はうまれたんだよね」
「壮大な話しよね」
新しいサイフォンはすっかりひょうたんかのように。私たちの間では語られています。コーヒーカップに注がれる薫り高い宇宙を飲み干すようにコーヒーを飲み干します。

ひとりきりの午後。窓の向こう側に乾きかけの長袖のシャツが両手を広げて踊っている。自分の為にコーヒー豆を挽いてお湯を沸かすのは初めてのこと。ぎこちない動作は。これは生まれつきで。頭の回転数と動作がいつでもちぐはぐなのね。(笑)

一滴また一滴。フィルターを通過して透明感のあるコーヒーが満ちてくる。完璧な宇宙が曲線のフォルムに納まると。私のなかの不純物も濾過されたような感覚になる。食べ過ぎた内臓の負担もしゃべり過ぎた後悔も。一滴に乗せて濾過されたみたい。


読みかけのコミックを片手にいれたてのコーヒーをひと口。ものがたりから生まれた感情を味わうようにコーヒーのコクを味わう。人の体にはいくつかのフィルターがあって。ひとつの感情は濾過されながら奥の層へ入っていく。水分に不純物が無い方が浸透しやすいように。感情も純化されながら深い場所を見つけるのかもしれない。

今までとは違う新しい感情には新しい行き場所があって。その場所を増やしていくことで。心は膨らみ潤いをもたらし豊かな感情の土壌を作る。今まで見えなかった世界がその土壌からは見えるのかもしれない。私たちは見えている世界に重なる見えていない世界を同時に生きている。そんな不確かな感覚がいつか実感になる日が。近づいていることを予感しています。

今回のタイトル画像もみんなのフォトギャラリーさんからお借りいたしました。

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