最高のクラスメイト
2021年3月3日
僕の看護学生生活が終わった。
「やっぱり神様は見ているのかな」なんて思うほど、連日雨が続く中、晴天での卒業式だった。
卒業式当日、女の子達は袴を着飾って、写真撮影の嵐。
「自分にはそんなに関係ないかな」なんて少し気まずい思いを抱きながら車を降りた僕に、クラスのみんなが写真撮ろうと言ってくれ、僕を嵐に巻き込んでくれた。
きっと問題児が多く、癖の強いクラスだったと思う。
インシデント祭り、欠席祭り、〇〇の乱多数など、先生方からお叱りを受けることが多かった。
でもそれ以上に逆境にはとことん強いのが僕達のウリだった。
辛いことも楽しく過ごす力。
これは自信を持って誇ることが出来る。
§
今年はコロナウイルス感染症の関係で短縮された卒業式だったが、しっかりと厳かな雰囲気に包まれ、あちこちから啜り泣く声が聞こえてきた。
そんな中での首席による答辞。
答辞を読むのは僕のライバルだった女の子。
どっちが優秀だとかではなく、お互いに良きライバルとして尊敬しあっていた。
その子が読む答辞は本当に素晴らしく、立ち振る舞いも堂々としており、「首席がこの子で良かった」と心の底から思うと同時に、その子が答辞を読んでいることが同じクラスメイトとして誇らしく感じた。
式が終わった後、「答辞、本当に良かった。やっぱり流石だなって思った」とその子に伝えると、「Otoyoに褒められると嬉しい」と返ってきた。
その言葉を聞いて、僕は胸が熱くなった。
そこで改めて、この子と一緒に学生生活が出来て良かったと思った。
そして、働く場所は違えど、これからも良きライバルでいられるようにお互い頑張ろうと言い合った。
きっとその子とはこの先も関わることになるだろう。
いや、関わっていきたい。
そして、卒業式も無事に終わり、いよいよ学校を去る瞬間がきた。
最後に名残惜しくみんなと話しながら、僕はずっと話しかけたい子を見ていた。
その子はクラスで一番仲の良かった女の子。
その子に一言「ありがとう」と伝えたかったからだ。
その子がいなければ、きっと僕は孤独に3年間を過ごしていたと思う。
もっと言えば、卒業式を迎えられていなかったかもしれない。
それくらいその子の存在は大きかった。
実習や演習もなぜかその子と一緒のグループのことが多く、いつもお互いに支え合っていた。
その子は「私は支えられてばかり」と言うが、決してそんなことはなく、僕は間違いなくその子のおかげで看護学生生活を終えることが出来たと言える。
ここで改めて言わせてもらうよ。
3年間本当にありがとう。
今まで様々な別れを経験してきたけれど、やっぱり別れって辛い。
卒業式で泣きそうになることなんかなかったけれど、今になって学校で過ごした日々が蘇ってきては泣きそうになる。
前向きな別れだけれど、やっぱり寂しいものは寂しい。
でもこう思えるのは、クラスメイトが僕にとっていつしか大切な存在になっていたからこそ。
そう思えただけでもこの看護学生生活はとても充実したものだったんだと思う。
3年間で学んだのは看護の知識だけではない。
自分がいかに周りの人々に支えられて生きているかを気付くことが出来た。
これから看護師として社会に飛び出していくが、自分の周りにいてくれる人との縁を大切にして生きていきたい。
この3年間は、本当にあっという間に過ぎ去ったけれど、無くてはならない3年間だった。
確実に自分の中で思い出深い1ページとなった。
4月からはもうクラスメイトはいない。
そしてきっとまた新しい仲間と出会う。
けれど3年間一緒に過ごした皆のことを忘れることは決してない。
いつかまた会える日を楽しみに新たな地で頑張ろう。
3年間ありがとう。
またね。