『活元操法研究会記録(昭和37年3月20日)』
昭和37年の野口先生の講義。
この頃はまだ愉気が輸気とされている。
講義中「気を送り込む」という言い方をされている。気を何らかの物質に近い存在と認識していて、その輸出入によって、病気を治すといった立場をとられている。
しかし、病人の「早く治りたい」という気に引きずられるのは良くない、とも言っている。
無理矢理はやく治せば、「病気は治ったが体は弱くなった」となり意味がないと。
気とは多義的で、相互的なものであり、不可分であり、個人的なものではなく、ある種、指導者によって制するべきものとして、語られている。
この辺りから、徐々に野口先生の、病、気、病人、触手、に対する認識が変わってきたのだろう。
野口整体をまったく知らない人に、伝えるときに困るのはこの辺で、とにかく時期によって野口先生の思考が変遷しているので、ものすごく伝えづらい。
当然現在の整体協会の整体に対する公式見解は、この頃の野口先生の見方行き方とはまったく違う。
私としてはそれぞれの時期の野口先生の思考と技術の足跡を追っていきたい。
何故こう至ったのかを知りたい。
この講義録で一番気になったのは18頁の、触手時に両手で行え、という記述。
片手で行うと時々相手の異常を貰う、とのこと。
腕や腰が痛くなったり、草臥れたり、風邪をひいたようになったりするという。
輸気の時、両手を置けばそうならないという(しかし何故だろう)。
その輸気にも、送った気をもう片方で感じるのと、能率を高めるためにただ当てておくのと、両手の間で輸気をおこなうのと、三種類あると。
この時の吹き出物の治療で使うために説明している、真ん中で呼吸する方法は一番難しいとのこと。
このような輸気(あくまで輸出入の輸の時代の輸気の話です)の方法は、私は教わっていなかった。
この方法を今現在他の野口整体を教えている道場で教えているのかも知らない。
重要なのは、これらの方法はすべて経験に基づいているということ。
理論が先にあったわけでなく、やってみた結果この方法がうまくいった、ということ。
ところで、私は師匠から、三点目に愉気をする、といわれている。
一点目と二点目(を見極めた後)にそこから手を触れていない三点目に気が響き、そこに愉気をすると。
これは師匠が独自に磨いてきた感覚であり、師匠の師匠である岡島瑞徳先生からは教わっていない、とのこと。
こういったことを最後尾から学んでいる私からすると、結構困ったことになり、どの方法を取るか、と言う話になるわけですが、結局は自分の感覚できる仕方で愉気を行うしかない。
そしてその感覚は私の中でも日々変化し更新されていく・・・。
たとえば本ブログで私が、「愉気をした」と簡単に書いていても、実際はそこに逡巡や含みがあることをご理解いただければ、という思いで、今回は、野口整体を学ぶことと、実践することの難しさを知っていただきたく、古い講義録に言及しました。
(2018年1月17日執筆)