第1話 家業を継ぐ
2012年の1月。
確かその頃を思い出すと、冬の香りも同時に思い出せる。
僕は10年ぶりに池袋の実家に行き、これからの自分の人生に、それまで積み重ねてきた経験を活かせる事はないか?
自分の家族と、両親を豊かにする方法がないか。
とにかくそんな話をしたくて実家に帰ってきた。
木造一戸建て。
僕が産まれた頃に建てたから築28年くらいか。
池袋駅から15分ほど歩き、西武線と山手線が交差する池袋の端っこにあるのが実家。
僕は毎日電車の音が聞こえるこの家の3階の屋根裏部屋で多くの時間を過ごした。
男兄弟3人と両親と祖母の5人家族と犬1匹。
祖父は僕が産まれてすぐに亡くなった。
『膵炎』だった。
正月には親戚中が長男のオヤジが住み祖母がいるこの家に集まっていた。
僕が小学生低学年の頃は景気が良かったから、家にも活気があったことを覚えている。
でも、程なくして店の経営は悪くなり、親戚とも金の問題で距離を取るようになっていった。
オヤジは連日酔い潰れるようになり、深夜にオフクロとケンカが絶えなくなっていた。
まだ小学生だった僕と2つ下の弟は、自分達の存在が両親を苦しめているのだと思い込み、無力感に歯を食いしばりながら、布団の中で泣いていたのを思い出す。
そう、僕のオヤジが経営していたのが『焼肉・ホルモン料理とらじ亭』である。
1945年。
第二次世界大戦後の『野上のヤミ市』(東京上野御徒町に広がった青空市場)に、祖父の親戚の叔父さん夫婦が始めた店。
屠殺場で働いたお駄賃で手に入れた豚足とホルモンを炊いて作った『ホルモンスープ』これが『とらじ亭』のはじまりである。
叔父さんの名前は『金』在日韓国人だ。
叔母さんの名前は知らない。でも、仇名は『トラジ』だったそうだ。(トラジ・・・桔梗の花)
叔母さんが仕入れをして、叔父さんが売る。
それから3年後くらいに、今で言う『白タク』をしていた祖父の順二郎が『とらじ亭』でアルバイトをはじめた事により、それ以後は僕の家系が経営を引き継いできた。
戦後の焼け野原を生きるための『生業』から家族が生きるための『家業』へ。
これが、僕の実家。
焼肉・ホルモン料理とらじ亭そのものである。
実家の1階には菩薩に王手!をかけた祖母と遺影の中の祖父。
挨拶して線香を上げ、両手を合わせ頭を垂れる。
東京の池袋に家があり、僕ら兄弟が大人になれたのは1人の男が異国である日本でした挑戦と、その男を愛して故郷の済州島からヤミの船に乗って日本にきた祖母の物語のおかげである。
祖父は留学生として戦後の日本に来て、生きるための仕事をしていた。
現在とらじ亭で働く外国人達と何ら変わりはない。
大きく違うのは彼ら多くの外国人留学生は出稼ぎに来ているだけ。
僕の祖父母は、この日本で命をかけて生き抜くと決めた人達。
故郷に帰る家などないんだ。
実家の2階に両親がいる。
オヤジもオフクロも、この家もくたびれていた。
酒、タバコ、コーヒーの香り。
本棚には読んでも一生金持ちに成れない自己啓発本や村上春樹など作家の小説、幼少の頃に読み聞かせられたのだろう絵本が並ぶ。
それにしても、様子がおかしい。
部屋の中が暗いのはいつものことだが、空気が重い。
何かあったのか?
トミオさん、辞めたのよ。
熱いブラックコーヒーを煎れながら、オフクロがポツリと口を開いた。
トミオさんは、とらじ亭で37年間勤めたオヤジの学生時代の後輩の男で、笑顔の絶えない良い人だった。
学生時代にボクシングをしていたのに、クラシックギターが好き。
僕は学校に行かなくなり、同時にとらじ亭でアルバイトをはじめた13歳の頃を思い出した。
トミオさんが賄いで『マゼ肉盛り合わせ』を食べさせてくれた。『コブクロ刺し』『ホルモンスープ』『ムルフェ』僕の大好物だ。
何で辞めたのか問い詰めると、お店の閉店後に友達や女を連れ込んで飲み食いさせていたらしい。
店に忘れた自宅の鍵を取りに戻ったオヤジがそれを目撃して大喧嘩に発展。
『2度と来るな!』
このオヤジの一言で、37年間の関係は終わった。
僕はそんなことをトミオさんがするなんて信じられなくて、いくら彼にあげてたのか聞いてみると、店の経営が最悪で月に15万渡せるかどうかだったとのこと。
そりゃ、辞めるよ。
調理人が辞めてしまっては店の営業ができない。
オヤジはカップラーメンしか作れないし、オフクロはホールで接客がメイン。
とらじ亭の味を知っているのは、腰が曲がり、焼き網の洗い過ぎて指が曲がった祖母だけ。
社会保険も加入していなかったので年金も貰えない。
どんな重い病気をしても、どんなに歳をとっても、死ぬまで働き続けないと生きていけない家族。
それが僕のリソースだった。
ちょうどその頃、前の会社との労働審判が終わったばかりの無職だった僕もピンチだった。
次の仕事が決まるまで、オレが手伝うよと申し出た。
それが僕がとらじ亭に本格的に関わっていく事になるなんて、この時はまだ思わなかった。
でも、自分にならこのとらじ亭を立て直せると言う自信と確信があった。
オヤジは反対したが、オフクロが了承し僕は店に出た。
そこで知ったのは、事態は当初考えていたよりも最悪最低の状況で、今後間違っても再興などあり得ないと言った方が楽な現実が東京の上野御徒町の一角にあったのだ。
家業を継ぐ。
それは僕にとって絶対にしてはいけない選択の1つだった。
でも同時に、20代に社会人として積み上げたはずの過信を改められるチャンスだった。
第2話に続く…