でんきのことが、きになる。(1)
コロスケのあたらしい波でいろんなことをかんがえている。
ちきゅうに、うそをつかないで、ほんきで、生きよう。と、おもってきている。
それで、じぶんのクリエイションについてずっと課題だった問題と向き合うことにした。
それは、でんきである。
わたし自身は、自然とつながって生きることに喜びをかんじるけれども、わたしのおんがくというのは、創作するときも、パフォーマンスするときも、何にしたって電源が要る。
3.11
この壁を認識したのは、ご多分にもれず、3.11だ。
当時わたしは、オーガニックな暮らしを提案する、絵本や女性誌、子育て雑誌を刊行する出版社で働いていた。社長は常に”少数派”の視点に立って強く発信を続ける女性ジャーナリスト。兼ねてから「脱原発」活動を行なっていた彼女は、震災後にさらに活動に命を捧げるようになった。
一方でわたしは、会社に勤務しながら、表現活動を行なっていた。
当時関わっていた現代アートスペースblanClassから声をかけてもらい、3.11直後の集団パフォーマンスに出演(作品については、またweb siteに掲載しようと思っている)。
このとき、尊敬するblanClassディレクターの小林春夫氏をはじめ、数人のアーティストとパフォーマンスを創る濃い濃いじかんの中で、じぶんの表現方法と電気の問題について、ずーっと考えていた。日々「脱原発」の強いメッセージを発する社長にもものすごく影響を受けていた。
つづく。