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「将来の夢」を語れないのは何歳から? 作品制作とはある種の「貯蓄」なのである

「将来の夢」という言葉の使用が許されるのは、何歳までだろうか。私は30歳を超えてから「将来の夢」という言葉における”将来”のただ中にいるという感覚がある。かつて描いた夢を叶える途上に、今まさに自分はいるのかもしれない……これは言い訳だ。「将来」は擦り減る一方だ。

原稿用紙100枚ぐらいの小説を書いて世間に認められることが「将来の夢」だった。いまだチャレンジできずにいる。

言い訳のひとつは、現在の仕事が、集中力を多大に要するから。余暇の時間に書くことのできるボリュームは原稿用紙に換算すれば1,2枚を書く程度でやっとこさだ。

受注生産で原稿を収めるフリーランスのライターとして私は生活の糧を得ている。時間単価で作業を捉えるという悪い癖がついた。いくらになるかわからない原稿を書くことがどうしても後回しになってしまう。

原稿は売れなければ不良在庫か?いやいや。作品を作ることは、クライアントワークとは別事業だ。

クライアントワークとはいわば賃労働だが、作品制作とは畑を耕すような生産活動だと思う。売れるかどうかはさておいてひとまず作る。作ってから売ることを考えるのが作家というもの・・・だろうか。あんまり勝手なことを言うと怖いですね。

幸いなことに小説は腐らない。むしろ寝かせるうちに推敲を重ねれば品質が高まる可能性がある。不良在庫というよりも、ある種の「貯金」として作品制作にいそしめばよいのではないか。宵越しの金は持たない性分だから、せめて作品の形による「貯金」ぐらいは持っておいたほうがいい。

「デビューしたら1億円相当の原稿をストックしています」とか思えば、大らかな気持ちになれるように思う。

というわけで、今年の春に挑戦したいことは作品制作です。ハードボイルドのトンマナで、中小企業を舞台にしたサラリーマン小説を書いたら面白いかなと思っています。謎解き要素を作るのは苦手なんだけども、動機を巡る謎掛けが好きなほうです。

「なぜ彼女は昇進を断ったのか。その真実を探ってほしい」
「一人だけボーナスをたくさんもらっているやつがいる・・・なぜだ!?」
「謎のハイスペック部品の製造目的は何か?」
とか。いろいろ考えてます。

笑えるお話にしたいですね。つまらなければ買う価値がない。笑えるならば読む意味がある。


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