【しゃべれどもしゃべれども】読了後の出涸らし【著:佐藤多佳子】
佐藤多佳子さんの「しゃべれどもしゃべれども」という小説を読んだ。体に暖かいものが染み渡るような作品だった。
簡単なストーリーラインを説明する。題材は落語。主人公は駆け出しを少し卒業したかどうかレベルの噺家。性格はまっすぐ不器用。落語に関しては基本的なことは出来るもののまだ自分の殻を破れていない状態。なかなかうだつの上がらない日々を過ごしていた。
そんなとき主人公は、ひょんなことから自宅で落語教室を開催することになる。生徒は4人。曲者揃いの4人だ。主人公はこの4人に関わり合いながら、互いに成長していく。
主な登場人物は5人。
・外山:本作の主人公。20代後半。作中では「三つ葉」と呼ばれることが多いので以降三つ葉呼称。五分刈りで常に和装の江戸っ子男子。落語教室の先生。
(以降の登場人物は生徒。)
・十河:20代後半。素直になれない、キレやすいアジアンビューティー。作中でのツンデレ比が9:1と驚異の暴れ馬度合い。個人手にはハルヒ以上だった。すき。
・村山:小学生低学年。関東に越してきたばかり。バリバリの関西弁。意地っ張りの性格でクラスに溶け込めないでいる。
・湯河原:40代。元プロ野球選手。かなりいかつい。口下手。皮肉屋。野球の試合の解説などに呼ばれると無口になりがち。
・良:三つ葉の幼馴染。テニスコーチ。吃音。生徒の中で唯一の温和な性格の持ち主。
とまぁ様々な人間が三つ葉の落語教室に集まる。集まった動機も三者三様だが、おおよそ共通しているのは「人前でしっかりと話せるようになること」だ。そのため生徒の皆は喋りのプロである噺家に稽古を着けてもらおうということで落語教室が開催された。
これらが大まかな本編のあらすじだ。
話の内容としては、殺人事件が起きるわけでもなければ、男女の激しい愛憎が展開されるわけでもない。日常の中に少し変わった出来事が起こるだけだ。出来事は、文章にしたら大したことではないのだが、登場人物たちにとっては一大事なのだ。なぜならそれらは彼ら彼女らの生き辛さ、自らを許せない真面目さによって引き起こされる事件だからだ。
私は初めて佐藤多佳子さんの本を読んだが、その時々の登場人物の描写が異常に綺麗だと感じた。女性作家の本をあまり読まないので、比較は出来ないが、とにかく綺麗なのである。一部抜粋したい。
「つかみどころのない気分だった。長く降り続いた雨がやみ、外気は新鮮だが、まだ湿気を含んで重く、足元の地面は濡れている。ありがたいような、さっぱりしないような。」
これは三つ葉が十河から初めて好意的なことを言われた際の描写だ。十河のバックボーンを知った三つ葉が、好意を寄せられても純粋に喜べない心理描写だと思う。
「三つ葉は、複雑な気分になった。」だけでも作者の意図せんことは伝わるだろう。三つ葉は今十河に対して宙ぶらりんな気分なんだろうな、と。しかしただの一行でおわっては味気ない。そして私はこの佐藤さんの、三つ葉の心理描写は非常に綺麗だなと感じた。
理由はまず、この描写が書かれた作中の季節が夏だったということ。梅雨開けの描写とわかる。そしてそれに重ねて、三つ葉と十河の関係が少し進んだということも意味する。ただ関係性は「悪い」から「悪くない」程度にしか進んでいないため、大幅な進展ではない。その微妙な気持ちを梅雨明けのぱっとしない季節感と絡めている。まさにありがたいような、さっぱりしないような。
とっても綺麗な文章である。本作はこんな綺麗な描写が散りばめれている。描写力が非常に強いので、物語の出来事が強くなくても全く飽きずに読めてしまう。私もこんな綺麗な文章を書いたみたいと思った。
そして、やはり何度も書いて申し訳ないが絶妙な読了感である。心に暖かい清涼感を感じる。自分のことをこの程度にしにか描写できない私が腹ただしい位にはみんなに読んでほしい。
読んでよかったと思える小説だった。特に失職中の私にはうってつけだったのかもしれない。テーマが「そんな自分でも許してあげること」だと感じたので、なぜだかこの境遇の私を、本小説に慰めてもらったような気さえする。
しかし、日常の話が多いと書いたが、しっかり気持ちよくなれるパートは存在するので安心してほしい。しっかり序急破の急はある。サクサク読める小説なので、見かけた際は手にとってもらいたい。私と同じ様に、読了後のポカポカ感を味わおう。
そしてもし著者の佐藤さんに届くのであれば、唯一のこの小説の心残りをここに書いておきたい。
正直に話すようになった湯河原の野球解説を読んでみたかった!!!