司馬遼太郎の小説?『空海の風景』を読んだら
ある日、何も考えずにふとテレビをつけたらNHKで空海のドキュメンタリーをやっていました。
空海や密教というより曼荼羅のパッと見が好きな私は途中からでしたが興味深く視聴しました。その番組の元となったのがなにやら司馬遼太郎の『空海の風景』だったようです(曖昧な言い回しですが、途中から観たのと何しろ「何も考えずに」テレビをつけたので)。
「空海」という名前は知っていましたが、基礎学力に大きな欠損がある私は空海がどういう人だったのかほとんど知りませんでした。
私が知っていたことといえば、「弘法大師」とも呼ばれて、筆を選ばなかったり筆を誤ったりすることくらいでしょうか。
というわけで読んでみました。
空海についてもうひとつおぼろげな知識(?)が、
「なんか最澄とセットで語られる?」でした。
「最澄と空海」。なんでしょう?師匠と弟子でしょうか?志しを同じくするコンビでしょうか?「ぐりとぐら」みたいな仲良しさんでしょうか?
どれも違いました。
この本、最澄についてもかなりのページを割いています。そしてこの二人の関係、かなり面白いというかドラマです。
八歳年上の最澄、歴史に登場したスタート時はかなりの距離で空海をリードしていました。地位的に恵まれていたんですね。
最澄と比べるとかなり不利なポジションからのスタートだった空海ですが、その天才的な宇宙観と恵まれた体力、智力(知略?)、意志の強さ、奇跡的なまでの強運で、ある時点で最澄の地位を凌駕してしまいます。
密教を、既存の仏教の一部とするために関わった最澄と、密教こそ全ての全てだった空海の身構えの違いが大きな差となってゆきます。この辺りは当時の日本の仏教界や政治の力関係や価値観の変化も関わって強運空海を押し上げます。
密教に関しては空海の方が自分より遥かに上であると思い知った真面目な最澄さんは、空海に教えを乞うようになり、空海が所蔵する経典を貸してもらえるよう頼んだりします。
基本真面目でいい人なんですね、最澄さん。それに対して空海の態度は冷淡だったようです。
意地悪なんじゃなくて、最澄の密教に対する考えが自分と違っていたのがその原因にあったようです。
「一対一で師に教えを乞い、修行必須」な空海に対し、最澄は座学で教えを得ようとしていた、そしてやはり既存の仏教の限界に囚われていた。「密教こそ全て」な空海としては気に入らなかったのでしょう。「書」の天才である空海は文章も天才で、そのころ最澄に送った手紙は、「自分を下に置きながら相手を遥かに見下ろしている感」がぷんぷん漂っています。
この辺り、真面目で謙虚な最澄さんに感情移入して悲しくなってしまいます。
根本の考えが違うと真面目とか謙虚とかはなんの力も無いんだな、とも思ってしまいました。
この本、私はノンフィクションとして読んでいましたが、「~というようなやり取りがあったのではないか」「以下は推量だが」「~という想像も許されるのではないか」と前か後ろに書き添えて会話や場面が描かれていました。そこだけ小説のような文章でした。「まぁ作家だしな」と思って読んでいましたが、読後、この本をはっきり「小説」として紹介する記事を目にしたりしました。
ノンフィクションに読者が情景を想像する余地を盛り込み、千何百年も前の人物に生命を与える、司馬遼太郎ならではの手法だったのかもしれません。
曼荼羅に関してはこんな本買ってみました↓
『世界で一番美しいマンダラ図鑑』
世界は曼荼羅で満ちているようです。なんつって。