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【小説】国立大学新卒の僕が就職先を辞めてパン屋のアルバイトに成った話 〜春の朝焼けとパン〜


 ほとんど衝動的だった。

 五月、僕は、研修を終えたばかりの新卒で入った就職先を退職して、近所のパン屋のアルバイトに成った。

1


 さかのぼって一ヶ月前の四月一日。僕は就職先の入社式に参加した。

 就職先は、繊維事業が起源かつ主軸でありつつ、繊維以外の素材開発にも成功し、それらを製造、販売する企業だった。
戦後、右肩上がりで成長し、グループ全体の従業員は10,000人、平均年収も比較的高く、大企業の部類だ。
最近は、環境にやさしい素材や宇宙ロケットにも利用できる素材の開発に取り組み、今後の成長に期待できる。

 僕は、就活に成功した方だと思う。
繊維にあまり興味はなかったけれど、法学部出身だったので、そこそこの規模の企業であれば、法律部門や管理部門あたりで需要がある。

 採用通知の際に、四月のまるまる一ヶ月間、研修センターで新人研修が行われることを知らされた。

 僕は、大学時代まで実家暮らしだった。
父は大学教員、母は県庁の職員、姉が一人いる。
家庭という閉ざされた環境を、他の人と比較する機会はほとんど無いから、大抵、自分の生育環境が普通だと信じているものだと思う。
普通に、僕は公立の小中高を経て、自宅から通える国立名古屋大学へ進学をした。
国立は学費が安いにも関わらず、成績上位者が集まり教育レベルが高い。
そして、就職にも有利だ。
合理的かつ経済的な最適解を実現して、至極当然にこの就職へ至った。
親と僕の価値観にズレはなかった。
親に「勉強しなさい」と言われたことはなかった。
親に怒られたことも無いかもしれない。
勉強をしておけば、そのときどきで高評価をもらえ、しかも、将来、有利な条件での仕事に就けるという事実に、自分自身で気づき、僕は勉強をしてきた。
親は共働きで非常に忙しい生活の中、姉と僕の世話をする労力と費用を捻出してくれた。
大学卒業時には、それなりの一般常識と、強みとなる専門知識を修得した人材になれたという実感がある。
学生時代の友達との出会いと、恩師との出会いは、奇跡と言っていいほど、面白く、価値があった。
卒業後、友達は全国各地へ散り散りになってしまったけれど、メールで、研究内容に関することや、その他雑多なことを送り合う交流があり、面白い。
それら全てを含めて、有難いことで、親には心から感謝している。

 就職を機に、初めて一人暮らしをした。
名古屋を出て、本社のある東京で1Kの部屋を借りた。
研修センターが埼玉県にあることは、部屋を決めた後に知ったが、自宅から研修センターまでは1時間半で通えたので、幸いにも問題は無かった。
電車に乗る時間は僕にとって苦痛ではない。
規則的な揺れの中で、音楽を聴いたり、本を読んだり、スマホで調べ物をしたりする時間は、心地よい。

 九時に研修が始まるので、大体の新入社員は八時半頃までに研修センターへ到着していた。
僕は、早朝の電車に乗ると座れることと、万一の電車トラブルに備えることから、早目の6時40分発の電車に乗ることにした。
駅と自宅の間は徒歩10分。余裕を持って、6時25分に自宅を出発する生活となった。

2


 研修は、面白かった。
内容は、企業理念から、組織図、主力商品の説明、そして、将来僕が関わるであろう予算、コンプライアンス、人事評価、トラブル発生時の対応要領など。
すべてにおいて、合理的で、効率的で、公平で、よく整備されていると思った。
長い社歴には、その時々で発生するブレに対する最適解の積み上げがあり、ブレは収斂し安定していく、ということを目の当たりにした。
経験値の高さは安心と同じだ。

 同期は、150人ほどだった。
僕と同じく、地方出身者も多くいた。
方言混じりの人、明るい人、暗い人、スポーツマンっぽい人、ガリ勉っぽい人、都会的な人、いろんなタイプの人間が集まっていた。
共通点は、大体同じ偏差値の大学を出ているということ。
そして、皆んな、スーツであるということ。

 早朝、起き、身支度をし、平日は毎日同じ場所へ通う。
夕方になれば帰宅する。
将来役に立ちそうな能力を高める。
それを22年間続けてきた。
通う先が、学校から会社へと変わっただけだ

 研修センターの最寄り駅の地下改札から地上までは長いエレベーターで繋がっていて、毎日それに乗った。
整えて、僕はいつも出荷されていた。

 僕は、毎晩寝る前に耳鳴りを聞く。
キーン、と高い音が、静まった空間で聞こえる。
今に始まった事ではない。
中学生の頃にはもう聞こえていた。
やがて眠りにつくので、別にそれは苦痛ではなかった。

3


 四月一週目、毎朝、6時25分に家を出て、駅へ向かう。
早朝は、うっすら寒いがスーツだけで過ごせる気温だった。

 自宅最寄り駅近くの交差点の角にパン屋があった。
縦に細長い古びた雑居ビルの一階だ。
 信号待ちの時、二階の窓が全開で、パン屋の店主らしき人がパン生地を打っている姿が見えた。
つまり、二階がパン屋の作業場らしかった。
それより上は、何屋かよく分からない。
作業台は窓際に設置してあるらしく、店主は全開の窓に正対して、黙々とうつむいてパン生地を打っていた。
信号待ちの通行人から、店主の腰から上が丸見えだった。
僕は、丸見えで恥ずかしくないのかな、と少し興味を持って見た。
 店主は、痩せていて小柄だった。
パン屋らしい白いコック服と帽子を身につけ、年は50代ごろか、日に焼けてシワが深く、決して裕福な感じには見えなかった。
労働者という言葉がよく似合うと思った。

 交差点の信号が変わり、パン屋の前を通り過ぎる時、焼きたてのパンの香りが漂った。
僕は、そのままパン屋を通り過ぎた。

 その週の最終日の金曜日には、パン屋の前を通り過ぎる時に、胸いっぱいに焼きたての匂いを吸い込むことを、すっかり楽しみにしている自分がいた。
鼻から目の辺りへ抜けて、脳天をクラクラと突く匂い、それは全身を温かく幸せな気持ちに包んだ。
世の中には、薬物を喰らわないとクラクラしない人もいるが、僕は近所のパン屋の匂いだけでクラクラできるのだから、すごく幸せな人間なんだろう。
手軽で、安上がりで、健康的で、合法的だ。

 四月二週目、僕はいつもより5分早く家を出て、パン屋に入った。
店内は狭く、3m×3mほどのスペースしかない。壁際にはパン置き台がズラリと並び、角っこにレジのカウンターがある。
そのカウンターの真後ろには二階へと通じる階段がある。
誰もいない。
僕は、ついさっき信号を渡る時、店主が二階でパン生地を打っているのを見ていた。
店主以外はいないらしい。
適当なパンを三つ、トレーに乗せてレジのカウンターへと持って行った。
パンの値段は安かった。
カウンターには、呼び鈴があった。
それを鳴らせということか、と解釈して呼び鈴を鳴らすと、ドタドタと階段から店主が下りてきた。
店主は、
「お待たせしました。」
と商売人の笑顔をして、素早くレジを打った。
僕が代金を支払うと、店主は、
「へっ、お買い上げ、ありがとうございました。」
と、両手を腰の前で合わせ、ぺこりと頭を下げた。

 その日の昼休み。
いつもは正午から一時間の昼休憩に、同期と連れ立って、近くにランチを食べに行くか、コンビニにみんなで買いに行って持ち帰り研修センターで食べるかだった。
「今日はパンを買ってきたから、僕はセンターで食べるよ。」
いつものメンバーに告げると、彼らはいつものように連れ立って外へ出た。
人が減り、シーンとなった無機質なセンターの中で、僕はパンを取り出した。
パンはめちゃくちゃ美味かった。

 次の日、僕は、パンを買った。
その次の日も、その次の日も、僕はパンを買った。
毎日、信号待ちの時に、二階でパン生地を打っている店主を目撃し、呼び鈴を鳴らすとドタドタと駆け降りてきて、会計を済ます、そんな日々が続いた。

 クロックムッシュというパンがとても美味しかった。
三角形の食パンの中にベーコンとチーズがサンドされていて、表面はフレンチトーストのように焼いてある。
カリカリっとしていて中はふんわりもちっと食感、それとともに心地よい塩味とコクが広がる。
僕は毎日、クロックムッシュと他の二つのパンを昼飯に食べた。
腹いっぱいにパンで満たされることを、毎日の楽しみにしている自分がいた。

 ある時、その日は研修が昼からだったので、10時過ぎにパン屋に行ったことがあった。
店主は、レジのカウンターの真後ろの階段に腰掛けて、壁にもたれ、斜め上を向いて口を半開きで眠っていた。
突然の寝顔に、少し面食らった。
早朝から働き、一人で切り盛りしている忙しい店主は、こうやって休憩をしているのか、と納得した。
僕が入る音とともに、店主は目を覚まして
「へっ、いらっしゃいませ!」
といつもの商売人の笑顔になった。

 四月三週目、いつものようにパン屋に入ろうとした時、
僕は店外に手書きの張り紙があるのに気づいた。
 〜アルバイト募集〜
 6:00〜10:00
 11:30〜13:30
 16:00〜18:00
 レジ、陳列、洗い物など
 詳細は店主までお気軽に

紙の質からして、ずっと前から貼りさらされていたもののようだった。
賃金は、最低賃金の端数を切り上げた額だった。
シフトがずいぶん細切れだと思いつつ、いつもの朝のドタドタぶりを考えると、忙しい時間帯にレジに人がいると一階と二階を行ったり来たりすることが減り便利だろう、と納得した。
そして、いつもどおり、パンを買って店を後にした。

 四月四週目、僕は店主にアルバイトとして雇って欲しい旨を申し出た。
店主は、一瞬たじろいだ。
毎日通うスーツ姿の若い客が、突然にアルバイトを申し出たのだから、驚くのも当然だと思った。
当人の僕だって、まだ驚いているのだから…。
--
 あの日通り過ぎた、アルバイト募集の張り紙は、僕の中で、むくむくと少しずつ大きくなっていき、僕の頭をすっかり占領してしまっていた。
 募集の張り紙を見てから、数日後の風呂の中。
シフトにフルで入ったとして、時給×一ヶ月の労働時間×12ヶ月の金額を出す、そこから、社会保険料、税金、生活費諸々を引く。
「生活できてしまうなぁ…。」
と、思わず独り言を言う自分が居た。
僕は湯船の中に久しぶりに潜り込んだ。

 当然、就職先の給料と比べて、手に残るお金は減る、というより、比べ物にならないくらい少ない。
貯金ができるか分からないほど生活はギリギリである。
昇給比率は測定不可能だ。
その判断は思いついた当初、狂っているとしか思えなかった。
 それまで、僕は、何十年も先を、定年後の老後の生活を、さらに死に至るまでの人生を見据えたレールを敷くよう計算して、ずっと歩んできた。
ゆりかごから墓場まで、だ。
合理的な選択をし続けてきた自負はある。
就職先に居続ければ、食いっぱぐれることはない。
まだ見ぬ相手と結婚し子を作って家族を養うことも余裕できる。
パン屋のパートは明日潰れると言われてもおかしくない。
数日先すら見通せない。
新卒採用の切符は人生で一度しか使えない。
いや、切符なんかなもんか、定期券だ。
22年かけて手に入れた人生の定期券、それはずっと死ぬまで同じ電車に乗り続けることができる安心の定期券。
僕はそれをたった一ヶ月で手放そうとしている。
 毎日、通勤電車に乗って見ている同じ景色。
その景色を見れば見るほど、奇妙な思いつきは膨張していった。
--

 「お願いします。」
僕は、用意した履歴書を店主に手渡した。
店主は、一瞬だけ、書類が履歴書であることを理解しただけの速さだけで、さっと一べつし、顔を上げた。
僕の経歴には興味がないらしかった。
「何時に入れるの。」
と聞いてきた。
僕は張り紙の時間の全てのシフトで入りたい旨を伝えた。
「いつから入れるの。」
店主の顔はいつもの商売人の笑顔ではなく、職人の顔、パンを二階で打つときの顔だった。
僕が、今の職場の退職手続きをしてからになることを伝えると、店主は
「分かった。」
と言った。

4


 四月の終わりに、研修センターでは、新入社員の配属先が発表された。
地方の営業所へ行く者、本社へ行く者、研究所へ行く者…。
それぞれ喜んでいたり、残念そうにしていたり、発表の後は、ちょっとしたお祭り騒ぎのようだった。
僕には、本社の法務部コンプライアンス課での配属が告げられた。
想定内の配属先。
僕は無表情だった。

 その日の研修プログラムが終わってから、僕は研修センターの教養担当者に、退職を申し出た。
教養担当者は、慌てふためいていた。
僕は、研修中の成績も良い方で真面目な奴だったから、驚くのは当然のことだと思った。
約一ヶ月間、ともに過ごした教養担当者は、明るく人柄の良さが滲み出ている人だった。
個別面談では真剣に対話をしてくれ、親睦会という名の飲み会での雑談は楽しかった。
教養担当者を困らせてしまうことに罪悪感を感じたし、これからの人事の段取りや、退職に伴う手続き、僕にかかった採用コスト諸々のことを考えると、迷惑をかけてしまうことは分かっていたが、これは決定事項なのだ。
 その後、僕は、人事の担当者から何度も面談を受け、辞める意思にかわりはないか確認を受けた。
理由を何度も尋ねられたが、言えなかった。
近所のパン屋のアルバイトになりたいからです、なんてばかげたことは、この秩序だった大企業に混乱を招くだけ、と分かりきっていた。
研修中に何かトラブルでもあったのか、とも別の課から調査を受けたが、そんなことは一切なかったとしか言えなかった。
この会社に不満などあるはすがない。
 積み上げた積み木を壊したのかもしれない。多分そうだ。

5


 そういう訳で、五月、僕は、パン屋で働き出した。
徒歩10分で通えた。

 初日、6時からのシフトに入るため5時半にパン屋に行くと、店主に
「早く来なくていい。」
と言われ、5時55分に到着するようにした。
 6時、次々に焼き上がるパンを二階から一階に運び陳列する。
しばらくすると朝の通勤ラッシュに合わせてレジが混む。
 10時前になると人の波は落ち着いて、僕は一旦家に帰る。
売れ残りのパンを持ち帰って良いことになっていたので、家でそれを食べる。
 11時30分、またパン屋に行き、昼の客の対応をして、13時30分にはまた、一旦終える。
 そこからは、家に帰って昼寝をしたり、図書館に行ったり、天気と気分が良ければランニングしたりする。
 16時、またパン屋に行き、客の対応とともに、洗い物をし、レジ締め作業の後、現金を手持ち金庫に移し替え、18時に店主に手持ち金庫を渡して退勤する。その後、店主が何時まで店を開いているのかは知らない。

 無口な店主からの業務内容の説明は、必要最小限だったので、不明な点は自分で適当にした。
売れ残りのパンを貰えたことは、思いの外、食費が浮いて、非常に助かった。
 店主は、毎日、毎日、パンを作っていた。
呼吸をするように、ただひたすらにパンを作っていた。
 そんな日々が続いた。

 ある日、レジ締め作業をしていると、現金が合わなかった。
何回計算しても、現金が180円多い。
僕は焦った。
あの時か、この時か、原因となる場面を記憶の中で検索し、説明責任が果たせるよう準備した。
「レジのデータより、現金が多いんです。」
と、店主に報告をした。
店主は、
「あっ、そう。」
とだけ言って、金額も聞かずに、そそくさと手持ち金庫を受け取ると、階段を上がって行ってしまった。
詳細の説明をしようとしていた僕は、店主の背中を見ながら、あっけなさに呆然とし、帰るしかなかった。
 さらに数日後、今度は現金が270円少ない。
「現金が270円少ないです。」
と、今度は金額も、発言に織り込んで店主に伝えた。
しかし、店主は、
「あぁ。」
と言っただけで、金庫を持って二階へ引っ込んだのだった。
その件について、その後、店主から何も言われることは無かった。

 しばらくして仕事に慣れてくると、何かすることはないか、と探しだす。

 店内の掃除はし尽くした。

 売れたパンの種類、時間帯、当日の気候、客の種別などを、手持ちのノートパソコンにエクセルで、勝手に入力している。
記録と分析は売上管理に必要だからだ。

 パン置き場には、商品名と値段だけが書かれた古びたカードがそれぞれのパン毎に掲示してある。
僕は、帰り道に文具店で用紙と色とりどりのペンを購入し、翌日からポップの作成に取り掛かった。
僕はもう全種類のパンを何度も食べていたから、パンの魅力についての説明を、簡潔に小さなカードに収めることができた。
今までの茶色く変色し年季の入ったカードより、ワクワクするカードになった自信があった。
駅に近いこの場所は外国人も時折訪れ、パンの説明を求められることも何度かあったから、小さく英語での表記も追加した。
これで売上げが伸びれば良いと期待した。
「パンの説明カードを作ったのですが、入れ替えても良いですか。」
と店主にカラフルなカードを提示して尋ねた。
店主は、それを見もせずに、
「あぁ、いいよ。」
と言っただけで、外に出て行ってしまった。
 僕は、黙々とカードを入れ替えながら、拍子抜けしていた。
改善することは、今までの人生で「善」と評価されてきたから、
ありがとう、みたいな感謝の言葉や、
良くしてくれたね、みたいな高評価の言葉を、
無意識に期待していたことに今更ながら気づく。
そして、恥ずかしくなった。

6


 人の波が引いている時間帯。
僕はレジの真後ろの階段の、その昔、店主が昼寝をしていたのと同じ場所に、腰掛けて、ぼーっとする。

 同僚はパン屋の店主だけ。
もし退職をしていなければ、本社勤務の同期だけでも何十人といた。
研修期間中も和気あいあいと仲良くしていたから、研修終了後も飲み会を定期的に開いて、「最近どう」とか「プロジェクトがさ」とかがやがや言っていたのだろう。
教養担当者が、言っていたことを思い出す。
「仕事をして10年、20年とそれなりのキャリアを築くと、中々人に尋ねにくいことが色々出てきます。
同期だけは、ここだけの話なんだけどこっそり教えて、と言って色々話せる、会えば自然と笑顔になれる、特別なオアシスみたいな存在になっていきますから、非常に貴重な存在です。」
もしかしたら、同期の間で恋愛の情なんかが湧いているのを横目で見ていた未来があったのかもしれない。
でも、僕には、もう無い。無口な店主だけだ。

 朝の通勤ラッシュと昼時は、サラリーマン風の客が多い。
皆んなネクタイを首からぶら下げている。
アイロンがピシッとかかって、黒髪を差し出がましくなくそれでいて美しく整えた身なりのきちんとした男がしている。
ネクタイの男をしている。
よく日焼けし、髪型はツイストパーマをかけ、身にピチッとしたスーツをきた男がしている。
ネクタイの男をしている。
小太りで、ワイシャツは生地がインナーのタンクトップが透けるほど薄くなり、タプタプのお腹がギリギリのベルトに乗った男、ズボンはスーツでなく綿パンツである。職業は一体何だろう、この男もしている。
ネクタイの男をしている。
女性はしない。理由は分からない。
僕も、退職していなければ、ネクタイの男をしていただろう。
ネクタイをなぜしないといけないのか、と疑問を感じながらしていただろうか。
それとも、疑問すら抱かずしていただろうか。
どちらにしても、ネクタイの男をする。
結果は変わりないのだから、どちらでも同じことなのだろう。
首輪なのかもしれない。
その思いつきは不謹慎だと直感的に察知し、誰にも言ってはいけないと思い、独り、首を振った。

 またある時、レジの真後ろの階段に腰をかけてうとうとしながら、思い出していた。
 大学生のとき、タイからの留学生が同じゼミに居た。
彼は日本語より英語の方が使えたので、会話はもっぱら英語での方が多かった。
雑談の中で、僕は、
「国名の"タイ"ってどういう意味ですか?」
と英語で聞いた。
彼は、
「independence!」
とはじけんばかりの笑顔で教えてくれたものだった。

7


 いつものように店番をしていると、夕方、若い女の子が来た。
ぶかぶかの黒いロンTにデニムのショートパンツに白いスニーカー。高校生くらいに見えた。
 彼女は、
「あれ、バイトの人?」
と尋ねたので、僕はそうですと答えた。
「おじちゃーん!パン貰うねー!」
と、二階に向かって大声で言うと、二階から
「おうー。」
という店主の声が微かにした。
彼女は、たくさん数が残っている数種類のパンの中からいくつかピックアップして、持ってきていた大きなビニール袋に入れた。
「ありがとー!」
と二階に向かって言って、出て行った。

 それから、ちょくちょく彼女は来て、同じようにパンをただで持ち帰った。

 その内に、雑談するようになった。
彼女曰く、店主の姪っ子だそうだ。
「バイトの人が決まって良かったね。
おじちゃん、もともと腰痛あったんだけど、何か他にも病気が出てきたらしくって。
でも、おじちゃん病院行く時間があるんなら、パン作ってる方が良いって聞かなくって。
うちのお母さん、あ、おじちゃんの妹なんだけど、お母さんがちゃんと通院してって、しつこく言って、やっと通院始めたの。
けど、その間、パン屋さん閉めるの嫌だって言って、バイトを募集し始めたの。」
確かに、ふらっと店主が店から出て戻らないことがあった。
そういうことかと合点がいく。

「うちんち、貧乏で、おじちゃんのパンをもらって家族と食べてる。
おじちゃん、昔は奥さんと二人でパン屋さんしてたんだけど、奥さんが早くに亡くなっちゃって、それからもおじちゃんはずっと独りでパン屋さんやってる。
おじちゃんのパンってすごく美味しい。
出来立てが一番美味しいけど、売れ残りのパンでも、家のグリルで少しあっためたら出来立てみたいに美味しくなるよ。」
それには僕も大いにうなづく。
そのために人生の進路を変えた張本人が僕だ。

 姪っ子は、会話好きだった。
姪っ子は、去年高校を卒業し、今はアルバイトをしているらしい。

 ある日、姪っ子がカードケースを取り出すことがあった。
白地にみつばちと小花と音符の模様の生地で、なんだか懐かしい感じがする。
手作りのようだった。
僕は、
「それ、かわいらしいね。」
と言った。
姪っ子は、
「でしょ!かわいいよね。
うち、5歳の弟がいるんだけど、サイズアウトして切れなくなった赤ちゃんの時の服を切って作ったんだ。
これを見てると、弟がぷにぷに赤ちゃんだった頃を思い出すの。」
うっとりした笑顔で答えた。
「若いけど、ブランド品とかじゃないんだね。」
正直、僕はブランド品に詳しくないけれど、今までの周りの女子はブランドマークの入った小物をよく持っていたからそういうものだと思っていた。
「だって、うち、お金ないもん。
買えないよ。
それに、ブランド品ってお金が溶ける気がするんだよね。
って言っても、まぁ、そもそも買えないんだけど。」
と、はにかんだ。
「私、裁縫が好きなの。
小学生の頃、周りの子はゲーム買ってもらったんだけど、うちはお金ないから買ってもらえなくて。
友達と遊んでも、ゲームの話についていけないし、させてもらっても中途半端だからかよくわからなかったんだよね。
それに、時間が溶ける気がしたし。
放課後、家帰ってから退屈でさ。
裁縫セットで、古着で捨てるやつのきれいなとこだけ切り取って、作り始めたの。
もともと、縫い物は、服とか靴下とか、ほころんだところを縫うことよくあったから。
それが結構楽しくなっちゃってずっとハマってる。
最初は枕とか、四角くて簡単なものから作っていって、それから、給食袋とかカードケースとか作って、そういうのは家族も使ってくれる。
喜んでくれたら、嬉しい。
ぬいぐるみも作ったな。」
姪っ子の瞳はキラキラしている。
「器用なんだね。
カードケースとかは実用的だけど、
ぬいぐるみは作ってどうするの?売るの?」
「まさか、考えても見なかった!
面白いことを言うね、お兄さん。
欲しい人がいれば売るけど…。
そういうんじゃないっていうか。
なんていうか、頭の中身が、形になるっていうのが良いの。
今はシャツを作ってる。
結構難しいんだよ。
まずね、イメージをするの。
考えると頭の中で設計図ができる。
型紙は面倒だしよく分からないから私は使ったことない。
頭の中の設計図より少し大きめに布地を切れば良いの。
大きければ、余った分はいくらでも切って調整できるからさ。
失敗もたくさんするよ。
でも、次はこうしたら良いっていうのが分かる。
白とか黒とかの良く使う糸は買うけど、わたは破けた枕やクッションから再利用するし、捨てる服から、珍しい色の糸とか、素材とか取り出して置いておくの。
何に使うか分からなくてもとりあえず取って置いたら、その内、こんなの作りたいって、イメージが降りてくるんだよ。」
「へぇ。シャツができたら着て来てよ。」
「がってん承知のすけ!
私ってば、安上がりな人間なの。」
と冗談ぽく肩をすぼめて言って、あはは、と無邪気に姪っ子は笑った。

 僕は、思った。
姪っ子は、幸せの集め方をたくさん知っている、と。

8

 母からスマホにメッセージが届いた。
"今週の土曜日に、うちに来ませんか。
晩ご飯は鍋を考えています。"
僕は行く旨を返信した。

 一ヶ月ちょっとぶりの実家だ。
16時に着いた。
晩ご飯までは、少し時間がある。
リビングのソファに座り、何となく手持ち無沙汰になる。
僕の姉は、大阪に住んでいて、この場には居なかった。
どうやら招集されたのは僕だけのようだ。
父はリビングにつながった和室で、座椅子に座り新聞を読んでいる。
もともとあまりしゃべらない落ち着いた人だ。

 母が、
「久しぶりねぇ。仕事はどう?慣れた?」
と、穏やかに尋ねてくる。
実家に来るまで、退職の報告をどうしようかと僕は考えてきたけれど、答えは出ないまま、この場に至る。
「順調だよ。」
と答える。
母は、
「あなたもお姉ちゃんも、うまい具合に事が運んで良かったわ。
全部公立に進学して、就職もすんなり決まって。」
と嬉しそうに言った。
うん、僕も、ほんの数週間前まで、そう信じていた、と心の中で呟く。
母は、続ける。
「あなたに、反抗期は無かったわ。
男の子の反抗期は、大変って周りからよく脅されてたのよ。
でも、蓋を開けてみたら、全然そんなこと無かった。
案ずるより産むが易し、ね。」
ふふふ、と笑って、鍋の準備に取り掛かり始めた。
僕も、反抗期、というものは今までよく分からなかった。
親の言うことは正確で、
合理的かつ論理的かつ効率的かつ経済的かつ常識的だった。
共働きで忙しかった両親はあまり干渉せず、僕はのびのびと好き勝手に育たせてもらったつもりだ。
反抗期の正体は、自我と親の意図とがズレた時に生まれる摩擦が原因、と思っていた。
そうだとしたら、僕と親は今まで、
良い人生を歩む
という目的をもって完全に一致していた。
ほんの数週間前までは…。
「良い」の定義にズレが生じ始めて、
今は、遅ればせながらひっそりと反抗期を迎えている…。

 母は、最近の出来事を喋り続け、父は、その間も新聞をじっと読んでいた。
「実に美しい。」
と父の方から小声が聞こえた。
僕は反射的に、
「え?」
と聞き返した。
「ああ、独り言だ。
人工衛星の打ち上げに成功した記事が載っていてね。
人工衛星は、ロケット自身が前に進む力と、地球の重力とが均衡をとってぐるぐると地球を回り続ける。
少しでもバランスを崩せば、地球に落下するか、宇宙に飛び出したっきり帰ってこない。
計算され尽くされて成り立っているんだよ。
すごいよなぁ。」
と空を見つめてうっとりしていた。
「そういえば、就職先もロケットの素材開発をしているね。」
と、こちらを見て微笑んだ。
僕は、
「そうだね。」
としか、言えない。
僕は軌道を逸れてしまった。
親には言えない。

 親には言えない、言わなくて良い。
正直であることと誠実であることとは違うと思うのだ。
僕は親にとって正直ではないけれど、誠実でいたい、と思った。

 僕達は季節遅れの鍋を食べた。
パウチの3〜4人前の鍋つゆのもとで作る鍋。
実家にいた時はよく食べていた。
夫婦二人になってしまったこの家では、食べる機会が無くなって、残ってしまったんだろうなぁ、と思った。

 鍋の湯気につつまれながら、僕は泣きそうだ。
ノスタルジックになってしまったこの光景に、僕は誠実でいたい。

9

 実家に一泊し、日曜日の夕方に、東京の1Kに戻った。

 寝る前に、布団の中で考えた。

軌道を外れた人工衛星…。
競馬場のコースから脱走した競走馬…。
ルーレット盤から飛び出してしまった球…。

 「independence!」というタイ人の誇らしげな笑顔が脳裏にちらつく。
僕は成人して、何から独立したのか。
親からか?
世の中の常識的な人生からか?
経験する予定だった出世レースからか?
金への執着からか?

 劇的な事件など何もない。
就職先を辞めた。

 積み上げた積み木を壊したのかもしれない。
多分そうだ。
でも、何もかもが無くなるってわけじゃない。
少なくとも一回目の積み木の積み方については経験して知った。
社会をよく分かっていないような気がするし、
早々に社会を分かりすぎたような気もする。
就職先でキャリアを積んでいったとして、どこまでいっても同じ仕組みの積み木を積み続けていく、ということをもう分かってしまっていた。
僕は、違う仕組みの積み木を積みたくなった。
いや、積み木以外のおもちゃで遊びたくなった。遅かれ早かれ、そうなっていた気がする。

 衝動的なように見え、その実、機が熟しただけだった。

 22年かけて築いていった、人生のレール。
その目的は「安定」だった。
今更気づいたふりをしたところで、実のところ、ずっと前から分かっていただろ、と、もう一人の自分が正す。
僕は22年かけて、それを築いたけれど、同時に胸の内に空虚な洞も広がっていって、
その空洞に、あの日、パンの匂いが充満して目的を変えてしまった。

 「安定」を目的としていた時代には、できるだけ自分の能力を高め、できるだけの手の届く範囲の一番高いステータスをつかみ取って登ってきた。
それは間違いではなかった。
その時の最適解だった。
そして、ゴールに着いたと思ってしまった途端、これからずっと見る景色に変わりがないことに、飽きていた。
これからが金の稼ぎ時だというのに。
そのために頑張ってきたというのに。

 しかし、それは、最適解が変わっただけのことだ。
ゴールが変わればルートも変わる。
今は、ゴールへの道は見えない、見当もつかない。

 でも、不安はない。
パンが幸せの源であることを絶対的に確信しているから。
僕は、やけに自由だ。

 人工衛星は最初からぐるぐる回っているわけじゃない。
打ち上げ時は、静の状態からカウントダウンとともに、物凄い量のエネルギーを使い、怒り狂ったように天をめがけて一心不乱に出立する。
 競馬場のコースから脱走した競走馬は、案外、近くの森に住み着いて、競走馬以外の馬と知り合って幸せに暮らしているかもしれない。
 カジノのルーレット盤から飛び出してしまった球は、客に蹴り上げられて、旅行客のポケットに収まり、世界中を旅するかもしれない。

 耳鳴りはもうしない。

10

 パン屋の店主は、雨の日も風の日も嵐の日も変わらず、毎日パンを、呼吸をするように作り続けていた。

 ある日、僕は、店主にパンを作らせてほしいことを申し出た。
沈黙が流れた。
もともと無口な店主ではあったが、今回は長めの沈黙に、僕の中に焦りが生まれてきた。
口火を切って、僕は、
「えーっと…パンのレシピがあれば読み込みます。そっちの方が教えてもらう時、早いですから。」
と、取り繕うように言った。
店主は、言う。
「パンってのはよう、生きてるからさ。
レシピってのはないなぁ。」
「生きてる…ですか?」
そして、また、ちょっとの沈黙。
店主は、
「パンは、呼吸もしてるしなぁ。ははっ。」
と笑った。
僕は店主の商売人以外の笑顔を初めて見た。
すぐに、店主は、
「ちょっと出てくる。」
と店の外へ出てしまった。
相変わらず、結論がよくわからない会話だ。
生きてるからレシピはない…。
ちょっとその言葉に引っかかる。
胸いっぱいにパンの匂いを吸い込んで深呼吸をした。
パンの匂いが僕の中に充填される。

 美人は3日で飽きる、ブスは3日で慣れるというが、パン屋のクラクラする匂いに僕はどうなるのだろう、分からない。
分からない…。
分からなくていい。
分かる人生はもうお腹いっぱい食べた。

計算のつじつまが合っても、
愛がないとつまらない。

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