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名前は誰がつけた?

週一本くらいは、書きたいと思いつつも、時間が空いてしまいまいた。

日々の生活の中でもたらせるたくさんの気づき・・・

テレビのニュースやインターネット、SNSからの情報よりも、占術の世界で扱う「象徴言語」からもたらされる、どこからやってきているのか分からない情報をどうまとめていいのかわからない日々です。

さあ、何を書きましょう?


タブレットに向かう直前に送られてきた、同じ世界を共有する友からのメッセージにちなんで、「名前」についての気づきを書かせてもらうかな。


札幌に在住の彼女とは10年来の友であり、同じ世界にいるものとして、切磋琢磨し合えるライバルでもあります。


彼女のお誘いで、数ヶ月前から、加藤昌紀さん、マッキー先生の古事記の学びを一緒にさせていただいています。


先々月くらいだっかな。

「みなさんの名前は、両親がつけたのではなく、私たちを守ってる見えない方がつけた」

というお話をしてくださいました。

勘の良い両親は、それを受け取ってくれるけど、そうじゃない場合は、第三者に頼むというお話も。


私たち二人は、本名とは別に、仕事上の名前を自分でつけていて、その名前で今生きているので、本名についてあまり意識していませんでした。

今朝、彼女が、名前について気づきがあったようで、お互いの気づきをシェアをしあいました。


私自身も、先日ある方がお釈迦様のお話をしてくださって、

「お釈迦様は、体を持ったまま、最高の智慧を開いた人」と。

「ほー」と感心していたのですが、数日後、私の名前に入っているじゃんと・・・

今更ながらに気づきました。


本名は、「智恵美」

父と同じ画数になるように、両親が考えたらしいです。

(おかげで性格も見た目も父そっくりと、母に憎々しげに言われることもあります😄)

自分でも笑えるくらい、「本当のことが知りたい」と、この世界に没頭し続けています。

「智慧を開く」とは、知識を詰め込むことではない。

「知識・・・自分以外のものから集め学部こと
智慧・・・すでに自分の中にあるものを具現化して、活用するもの。」とどこかに書いてありました。

ブッタは8000回生まれ変わったらしく、8000回目でインドの王国の王子として生まれ、「悟り」を開いたと。


まさ自分が悟りの世界へいきつくとも思わないし、目指すことも違う気がする。

ただ、そういう名前をいただいたのであれば、「そうありたい」という気持ちを大切にしながら生きたいと思いました。

名前をつけることを「命名」といい、

名前は四柱推命の「命式」にも表れているし、出生図、ネイタルチャートにも出ています。


エジプトのメンフィス神学に、

「すべての神々は、創造神の口の中から生まれたのであり、すなわち、名前を呼ぶだけで、創造神は、神々に生命の息吹を吹き込んだのである。」
、書かれていると。

名前=いのち

名前の漢字の意味の前に、皆さんの名前の「音のひびき」によって、2元の世界が「見える」世界であるとするならば、不可視の存在である、私たちを守ってくただる存在は、その「ひびき」によって、自分がサポートすべき人間を認知しているのではないかと、これは私の解釈です。

その「ひびき」に2元の世界を生きる「意味」を与えるのが、文字に与えられた「意味」なのかと。

まず音があって、文字があって、意味が生まれる。


逆に言うと、2元の世界にしか生きる意味はなく、私たちはそれを問い続けますが、「おと」の世界を意識したとき、

「生きている」「息をしている」ことしかないのかも。

そしてそれは、「生かされている」 「息をさせられている」こと。

それだけがある・・・それが真理?


難しい表現になりましたが・・・

「智慧を開く美しい生き方」

名前負けやろーと突っ込みたいけど、

きちんと両親はキャッチしてくれたのかな。

問い続けながらまた生きていこうと思う。


感謝だ。


ちょっと名前の意味と音にフォーカスしてみてくださいませ。

ありがとうございます。ではまた。




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