心惹かれるものに出会う
どうしようもなく心惹かれるものに出会うタイミングってあります。
「恋」はその一つ。
昨日ある集まりで、仏教界のことが話題になったとき、仏教の国タイで、修行の末、かなり高僧まで登られ、タイの王室からも支持され、そして多くの人から尊敬されている方が、ある女性との出会いがきっかけで、還俗(お坊さんをやめること)し、結婚されたという話題に。
ある人は、そこまで修業したのに何故、その修行も立場も捨てれるかが理解できないと。
ある人は、それは過去世のカルマかもと。
いろんな意見があり、その人にしかわからないと思いますが、占いの世界にいるとして、それは出会うタイミングだったからかなと。
12年サイクルでみる0学では、「決定」の年に決めたことは、恋愛だけではないですが、そのままあきらめることなく突き通していきます。
東洋でも西洋でも、出会いによって、その人の人生を大きく変わるタイミングって、人生の中で数度あります。
きっとその高僧の方にとって、そんな転換期のタイミングだったのだと思います。
そして、「恋はするものではなく、落ちるもの」と、タロットカードが表現しています。
「人間は理性ではなく、心惹かれるものを選択する。」
そしてそれは愛を象徴するクピトーが矢を放っちゃうのです。
その方が還俗したことによって多くの人が大変な思いをされ、多くの人が希望を失ったそうです。
それでも人は、心が惹かれるものに贖えない。
現代タロットの恋人たちのカードはこちら。
2元の世界に「分けられたからこそ、出会う」ことを表しています。
そして「2元の世界であるからこそ、愛を象徴するクピトーは、存在する」のだそうです。
1なる世界では、クピトーは存在しないのだと。
別れたからこそ、「愛」が存在し、恋焦がれる。
長い時間をかけて、大変な修行をし、国からも認められ、多くの人から尊敬されることよりも、その人にとってその女性は、尊いものだったのかもしれません。
恋人たちのカードは、以前もアップしましたが、ふたご座のカードでもあり、言葉によるコミュニケーションを表すカードでもあります。
「出会う」ということは、言葉を超えた、言葉にできない「何か」とのコミュニケーションのはじまりかも。
1元なる世界から自ら「分かれたのか」「分けられたのか」わかりませんが、恋焦がれるものは、2元の世界で出会う様々なものを通して、「元の大いなるもの」との関りなのです。
そこに正しい正しくないというジャッジは存在ししなくて、
「出会ってしまった」という事実があるのみかも。
ただ、その出会いによって傷つく人もいることも事実で。
その責任を背負う覚悟もいると思います。
いま私は占いの世界にどっぷりと恋しているという状態かしら。
占いというより、占いの世界にある象徴をとおして、「元の大いなるもの」との会話を楽しんでいるという感じ。
何でも良いと思いますが、恋焦がれるものに出会えることは、本当に幸せなこと。
正しいとか正しくないとか、常識とか、ルールとか、立場とかとりあえず横に置いて、人との比較も横において、純粋に何かに恋できたら人生はとても豊かになるかな。