あのクジラのこと
高校生のとき、池澤夏樹さんのエッセイを読んだ。
クジラマニアだった私が祖父に買ってもらった、図鑑のような本。
その途中のページから始まる短い物語、小さな文字で綴られたその世界には、ゆったりとした時間が流れていた。
高校生の時点で、すでにこの言葉に惹かれた。ずっと忘れられずにいた。
それなのに、なぜか、あまりにもかけ離れた生き方をしてきた。
それ以外の卑小な考えは最初から排除されている。
いいな。生きる意味だとか、なんで世界はこうなんだとか、ごちゃごちゃ考えるのは人間の悪い癖。
こんなふうに生きてみたくても、実際には、家賃が高いとか、自分は何をしたら心身ともに健康に生きていけるのかとか、そんな人間くさいことばかり考えている。
こんな日は、私も池澤さんの真似をして、遠いどこかのクジラを思う。
君みたいには到底なれないけど、できるだけ、そんなふうに生きていけたら幸せかもね。
『Flippers』より、あのクジラのこと。
(写真:中村庸夫さん)