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あのクジラのこと


高校生のとき、池澤夏樹さんのエッセイを読んだ。

クジラマニアだった私が祖父に買ってもらった、図鑑のような本。
その途中のページから始まる短い物語、小さな文字で綴られたその世界には、ゆったりとした時間が流れていた。


あの悠然たる泳ぎを思い出す。そして、これは一瞬の思いにしてしまってはいけないことなのだと考えなおし、坐りなおし、しっかりとクジラを思う。


人間だってあの生きかたでいいはずなのに、われわれは何を焦っているのだろう。


高校生の時点で、すでにこの言葉に惹かれた。ずっと忘れられずにいた。
それなのに、なぜか、あまりにもかけ離れた生き方をしてきた。

得られたものを喜び、得られなかったものを忘れ、明日を思わず、今日一日を満ち足りたものとして過ごす。その上で、クジラはもっともっと大きなことを考えている。


空と海があって、自分がそこにいる。この構図、大いなる肯定の姿勢。クジラにはそんなことしか考えられない。それ以外の卑小な考えは最初から排除されている。


それ以外の卑小な考えは最初から排除されている。
いいな。生きる意味だとか、なんで世界はこうなんだとか、ごちゃごちゃ考えるのは人間の悪い癖。

生きることは喜びであると言えるようになるために、われわれがまず頼るべき相手はクジラであるらしい。

ヒトはみな、時おり、クジラのことを考えるべきだ。



こんなふうに生きてみたくても、実際には、家賃が高いとか、自分は何をしたら心身ともに健康に生きていけるのかとか、そんな人間くさいことばかり考えている。


こんな日は、私も池澤さんの真似をして、遠いどこかのクジラを思う。
君みたいには到底なれないけど、できるだけ、そんなふうに生きていけたら幸せかもね。


『Flippers』より、あのクジラのこと。
(写真:中村庸夫さん)

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#池澤夏樹さん #クジラ #読書感想文

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