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書けなくなったら“書く”ワーク!/シナリオライター13年生の頭の中

本日のまとめ!(いきなりいなりずし)

なんだっていいんだ、ほんとうに!

* * *

シナリオライター13年生になっていたしむらです。いろいろ書くシナリオライター。とにかく作るのが好き。パンダも好き。レッサーパンダも好き。

今日は短めさっくりに。(と言っていつも長くなるけどさっくりに!)
やっぱり長くなりました(執筆後記)

ある日突然やってくる「書けない日」


どうしても指先が動かなくなる日、というのがあります。

なんにも書けねぇシナリオライターの図。

書き始めた当初はあんなにも指先がスラスラと動いたのに、今日はまっっっったくと言っていいほど自分の内側から何もでてこない。指が動かない。

迫る締切、進む秒針。

このままでいいわけがないから、とりあえず数行書いてみるけど、いやなんかコレジャナイ。

ずーん…

次第になんだか落ち込んでくる。

「このまま書けない状態が続いたらどうしよう」
「締切に間に合わなかったらどうしよう」
「自分の実力なんてこんなものだったのか…」
etc…

書けない自分を責めれば解決するのか?


この「書けなくなる」現象、どんなすげー作家さんにも起こると聞きます。

週刊連載などをされている漫画家さんは、兎角、根性で乗り越えているという話も聞きますが(汗)、それは本当に選ばれた数人だけができる鍛錬の成果であり、多数派は間違いなくこういう日を体験している。

まずはそれを事実として受け入れたいと思います。

こんな日があっちゃだめだ!なんて思わず、いいんだ!で受け入れる

私は「無駄に完璧主義な脳みその持ち主」で、自分には結構厳しい人間です。自覚してます。

そのためか、こういう書けない日に際しては昔から
「あ゛あ゛あ゛~~~自分はなんてダメなんだあ゛あ゛~~~」
って思ってしまうことが多々あります。

…なんか字面にするとコミカルですが(笑)、結構深刻に落ち込みますよ。

ガチめに落ちるとこまで落ちます。

(※○にたくなることすらある、まじで)

昔からずっとなんですが「これは書けない自分が悪いのだ」と、己で己のハートを痛めつけちゃうんですよね。

ぴえん。

でも、落ち着いて考えれば、そんなことしたってまた書けるようになるわけがないのです。

深呼吸して、冷静になって、こういうことは誰にでも起きるのだと自分に言い聞かせます。

そして、自分の内側で悶々とし続けるのをやめたら、今度は、体を動かすのです!

書けなくなったら、私がやること


冷静になり「誰にでも起きることだ」と思うことに加えて、近ごろの私がやるようになったこと。

それは

「ただ書く」

です。



え?


「書けないから困ってるのでは?」

と思った方いるかもしれませんが。


ここで「書く」のは、シナリオでも企画書でもプロットでもありません。

いまの自分の内側にあるものを、なんでもいいから、書くのです。

いま、ここにある自分の「気持ち」や「考え」を書くのです。

できれば、真っ白なノートブックに、ペンで。

書けなくなったら書くワーク!

私の中では本当に何を書いても良いことにしていて、

「シナリオ書けないよ~~」でも、

「おなかすいた」でも、

「ちくわ大明神」でも、

それが自分の内側から自然とでてきた言葉なら、とにかくノートに書いてしまいます。


これは人に見せるわけじゃありません。
なので、気にせずどんどんなんでも書きます。
文字が書けないなら絵でもいいのです。
いっそもうただの線でもいい。

それが自分の内側から指先へ、自然とでてきたモノなら、
とにかく、ただ書いてしまいます。

どのくらい書いてもいい。
けど、できるだけ「気持ちがスッキリするまで」は書くようにしています。

時間は気にしません。やめどきは気分が教えてくれます。

わたしの「なんでもノート」はこれ。知っている人は知っているFF14コラボグッズ。

ちょっと恥ずかしいですが、私のある日のノートを例としてチラ見せ。

無意味に焦る。自分がダメな人間な気がする。
🐼ぱんだは好き。描くのも楽しい。かわいい。きゅんとする。かわいいものはいい。
動物に触りたい。ふわふわでかわいいのに触れたい。いやされたいと思う。水曜日に行こうかな。
(中略)
カップラーメン食べたい。

※原文ママです。面倒くさくて漢字にしてないものもそのまま

1行目からかなりメンがヘラってそうな感じですね(苦笑)いろいろ書き続けているうちに謎の欲求(動物に触りたい/カップラーメン食べたい)が出てきました。

こんなんでいいんです。いいと思っています。

私の場合、こうしたことをだいたい1ページ超書くとスッキリして、満足感と安心感を得られるようになります。

そして、このワークを終えたあとの私には、決まって次のような効果が現れます。

1)いつの間にか忘れていた「このシナリオを書こうと思ったきっかけ」が思い出される。目標を取り戻し、初心に帰って再び書き始める

2)なんかもう安心して楽しくなってきて「今日はもうシナリオ書けなくてもいいやー!」と開き直る。その日は休んでしまう。すると次の日からすっきり書き始められる

3)「シナリオが書けない理由」として、具体的な問題点(たとえば制作環境や人間関係など)が浮き彫りになってくる。そのことに向き合い、今自分にできることをこなしたり、対処に動きはじめる

だいたいこの3つのどれかによって、再度、筆が動くようになります。

※ちなみに↑のカップラーメンの後は「2」の状態になりました。もう楽しくって仕方なかった。(その後執筆は無事終わらせました)

「書く」ことはセラピーになる


シナリオライターをしていると「書く」ということが日常動作にはなりますが、がんばりやさんの商業ライターほど「自分のために書く」ということには新鮮さを覚えるかもしれません。ソースは私。

しかしながら「書く」ということは、人の心をケアするために行われる認知行動療法にてたびたび活用される、立派なセラピーなのです。

例えば、アンガーマネジメントにも活用される書くセラピー「アンガーログ」では、今日はどんな腹立たしいことがあって、そのときどう感じたか、などを正直に書きます。

そこに書いたことを自分で読み、客観視すると、自分はこんなことで怒ってたのか、と冷静になることができたり、自分の怒りの根底にある感情・体験はなんなのか? を掘り下げて発見する、気づきを得るきっかけになったりするそう。

私がやっているワーク「ただ書く」も、書くことを通して、自分の中のまとまらない考えや感情に形を与えています。

客観視できる・冷静になれるも間違いない効果なのですが、私としては、自分の中にあったモヤモヤが「手に取れる」状態になる、そのこと自体にすごく安心感を覚えられるというのが、このワークの最高の効果だなと思ってます。

安心する。すなわち気持ちが前向きなる。前向きはクリエイティビティの源泉です。それだけでまた頑張る力も湧いてくるものです。


書けば安心するのは、昔から作ること=形のないものに形を与えることが好きな性分であることも影響しているかもしれません。 完全に根拠のない「しむらしらべ」ですが、クリエイターほど「書くワーク」から得られるセラピー効果は高いかもしれないですね。


書けなくなったら、悩んだら、意味なく書き散らかしましょう。
それでいいのです。

まとめ

なんだっていいんだ、ほんとうに!
いまこのときは、自分のために書こう!

おまけ的になりますが、「書く」セラピーが頻繁に登場する、私の大好きな漫画。

本日新刊が出て、またひとつ生きる力をいただきました。ずっと大好き。人類みんな読んで(布教)

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しむら おとの🐼シナリオライター+?
いただいたご支援は、今後の更なる創作活動のために活用したいと思っています。アプリゲーム作ったり、アニメ作ったり、夢があるの!(>ェ<)