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かけていく月?満ちていく月?月蝕をどう見る?


AM5:14 ふと目が覚めて、思い出した。

今日はおうし座満月月蝕だということ。

珍しく、パチッと目が覚めたからトイレに、と布団を出ると、寒さが素足に突き刺さる。
リビングのソファで眠っていた旦那を起こして、ベッドに行くよう声をかけ、もう一度布団にもぐり、娘にふとんをかけた。

月蝕はあきらめよう、だってこんなに寒いのだ。
冬にかける眼鏡はツンとしていて、なんだか余計に冷たさを際立たせているし、窓の外から見えるかもしれないと期待してカーテンをあけえても、暗闇に広がるのは星座だけで、もういっか、と、心のなかのわたしが言う。

本当に、こころのなかの声?

布団にもぐった瞬間に、あたまによぎる疑問符。
寒い、でも、見たい。
ふわふわの上着と分厚い靴下を探して、
玄関をガチャリと静かに開けた、スマホの画面は5:31

月あかりを探して、あたりを見渡すと、左側の空にまんまるから少し欠けたお月様。


薄い影が月を多っている。
遅かったかな?なんて思いながら、視線が外せない。

瞬きのすきまから、満月の光がわたしにむかってまっすぐに伸びてくるのに、わたしには届かない、寸前で光が途絶えてしまう。
そんな絵を、まばたきの瞬間に何度もとらえながら視線は釘付けのまま。

寒さで足がかじかんでくるけれど、はじまりがみれないなら終わりを見たいと、夜道に立っていた。

10分ほど、立っていただろうか。
だんだんとまん丸なお顔をみせてくれる姿をみながら、満ちていく、完成していく時を思った。
寝起きでぼんやりとしている思考で、完成した瞬間って、案外分かりにくいものだなと思う。
影で覆っていく姿の方が、分かりやすいのかもしれない。はい、終わりです!の合図でもない限り、いつまででも影があるような気がしてしまうし、もう既にまんまるで月蝕は終わっているのかもしれない。

影をおとすはじまりの瞬間だけ眺めていたら、欠けていくと感じたかもしれないなぁと思いながら、満ちていく月を眺める。
いや、すべてを見ていたら、また違った想いを抱くだろう。

月蝕は、満ちているわけでもなく、欠けているわけでもない。


どう捉えるかは、自分次第。

ある一部分を切り取って、すきなように考えればいいし、好きなように表現すればいい、思ったように捉えて、行動や考え方に影響させればいい。

それならば、わたしは。
いまのわたしが思ったままを、受け止めたい。
それはダメとか、間違いとか、そう思うことが正しいとか、
そういうことではなくて、わたしがどう思ったか?を、大切にしたいと思った。

ただ、つぶやいただけ。



ふと目が覚めたことも、寒さで諦めたことも、
思い直して外に出たことも、
すべて、意味がある。
そんな気がしているだけ。


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