「わたしのせいだよね」の、言葉の裏に隠れたキモチ
「でもそっか。そうだよね。わたしのせいだよね。」
ドラマ「あなたがしてくれなくても」のセリフ。
「わたしのせいだよね」
”わたしのせいだから、仕方ない”と、自分が飲み込める理由を探す女と、自分の真実を突き付ける男。
受け入れられない現実を突きつけられた女は、自分を守る方法を探すしかないのだ。
これが親子だったらどうだろう・・・?
「お母さんのせいだよね、ごめんね。」
「こんなふうに育てたせいだね、ごめんね。」
幾度となく、泣きながら母が向けた言葉は、わたしのなかに深く深く突き刺さる。
どれだけ血をだしても、抜くことを許されないような鋭利な言葉。
もうわたしは母を心から愛して、昇華しているけれど。
子どもはどんな親でも根底に、愛がある、とわたしは思う。
どんな子どもでも、はじめは親を愛することを本能的にできる。
そのあと、憎んだり、悲しんだり、苦しんだり、様々な葛藤や不安や傷を抱えて大人になっていく。
親とは。
地球に産まれて出会う、最初の人類。
ちょっとだけ長く生きていて、地球のルールを教えてくれる存在。
これは、わたしの定義。
自分責めは他人責め。
他人を責めるは自分を責める。
なんだか表裏一体じゃないか?と感じる今日。
答えや結果を求める必要はないのかもしれない。
自分がなにを信じていくかがすべて。
すべては自分。