自分で選べるなら、なにをえらぶ?

ネガティブモンスター全開で生きていた、ここ数週間。

なにを書く気にもならなくて、ひたすらにノートに、頭のなかの声をつづっていた。

大切な場所は、そのままに、ありのまんまのお恥ずかしいほど未熟なわたしで参加して。

見えてきたことは、
ぜんぶ、自分で選んでいるということ。

自分で選べていない!
こうすることが正解だと教わったからそれをやっているだけ!

なんにも悪いことしていないのに、幸せになれない。

だれかの幸せのため、愛されるため、好かれるためにやっているのに、うまくいかない!

どうやって生きていけばいいか、もう分からない。


そんなことをぐるぐると、頭の中で繰り返しては、ひっそり涙が出てきたり、無気力のまま家事もそこそこに布団にもぐったり。

ママ、怒らないで。
ママ、泣かないで。

と、3歳の娘に言われる始末。


その言葉にハッとした、今日。

病院に向かう道すがら、ふと、娘の声がおりてきて、「ママ、怒ってない?」と、寝ぼけた顔で不安そうに尋ねられた、夜明け前。


おねしょのあと片付けをおえて、もう一度ぬくぬくのおふとんに足を滑らせた時だった。

わたし、いつも怒っているんだな。
この子の前で、笑っていないんだな、と、ふりかえって、悟った。


わたし、どうしてたっけ?
わたしってどんな人だっけ?

わたし、どうやって生きていったらいいんだろう?


そんなこと思いながら…
とてつもなく悲しくなって。

ひとつ、思ったのは。


ネガティブを、選んでいるということ。


楽しそうに笑うより、
悲しい顔をしてる方が、お母さんは嬉しそうだった。

嬉しくてテンション上がるより、
お母さんの悲しみに寄り添って、よしよしって穏やかに慰める方が、喜んでくれた。


そんな何気ない積み重ねが、今のわたしを作っている。

お母さんのこと、大好きだから。
笑っていて、欲しかったから。
喜んでほしかったから。
愛情がほしかったから。


欲しいものをもらうかわりに、
お母さんの感情に寄り添っていた。


○○するかわりに、と、相手に求めていた。
むしろ、相手の欲求を汲み取って満たすことで、わたしの欲しいものももらえる、と思っていた。


だけどね、いつまでもいつまでも
誰かに合わせて生きることは、出来ない。

わたしは、選びたくない。

この道を歩き続けることも出来たけど、
わたしは、わたしの幸せを大切にしたい。

わたしも幸せになって、
だれかも幸せになるような、
そんな世界がいいなぁって思った。


ネガモンからポジモンになるのだ!

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