『作りたい女と食べたい女』にとって料理は「卑しい」のか
歴史的悪書『作りたい女と食べたい女』(以下、『つくたべ』)と『しょうゆさしの食いしん本』には強い関係(というか、前者からの一方的な関連性)があるのですが、話が長くなってしまうので、また別の記事にて触れていきます。
とりあえず、上記のイラストで『しょうゆさしの食いしん本』の書影が使われているのは、基本的に日本の著作権法が特に認めていない形での無断転載です。
さて。『しょうゆさしの食いしん本』を読んで意外だったのが、著者は料理に失敗しているところも描いているところです。
料理系の漫画といえば、主人公に豊富なレシピが既に身についていて、毎話美味しくて以前作ったものとダブることもなく料理を作り続けるような作品が多いのではないかと思います。しかし、『しょうゆさしの食いしん本』は未知の料理にも挑戦するため、そこの試行錯誤も楽しめるエッセイ漫画になっているのです。
一方で『つくたべ』です。上記のように、料理好き設定の野本ユキは突然思いつたら毎回失敗なく完成させます。そのわりに創意工夫を要するものも多く、専門の勉強をしていたわけではない料理好き設定としての解像度はとんでもなく低いものがあります。
どうも『つくたべ』は残った食材を化けさせるのが料理名人だと解釈しているようですが、上記の温泉卵からのゆで卵化のように、一切の失敗なくどんどん成功させていく姿に不自然さを感じずにはいられません。
週刊誌によるとNHK関係者(誰だよ)が、『つくたべ』にとって料理はサブと証言したとのことですが、まあ確かに料理描写がお粗末極まりないのを指摘しても、それは『つくたべ』にとっては過剰なクレームなのかもしれません。(それなら作品ページの「グルメ」タグをとっとと外せという話ですが。)
しかし、同居生活開始直後のこの描写にはやはり違和感が拭えません。上記のやり取りを見ると、料理に対して生活の負担としか捉えていないような印象を受けます。
どちらか片方に負担を押し付けないようにということで、料理を分担させようというのはわかります。ただ、同居前の描写を見たら、せめて7:3の割合で野本ユキが多めに作るとか、そういった流れにならないと観客として観察している読者には不自然に感じられます。
おまけに単行本未収録分を読むと弁当まで別々に作っているという、同居していて勤務時間も似たような2人の生活としては実に奇妙な光景が続きます。調理の時間が重なったら台所を使う順番はどうするのだろうと無駄に不安になりますし、この調子だと冷蔵庫の中の食材もお互い相手のものを食べないようにしているのではないかと疑いたくなります。
ドラマ『古畑任三郎』の「偽善の報酬」で、古畑任三郎は食卓のマヨネーズにイニシャルが書いてあるところから、同居していた2人が実は仲が悪かったのではないかと気づくシーンがあります。実際に冷蔵庫の中身を覗き、まったく同じ2つの牛乳などにそれぞれ別のイニシャルが書いてあるのを見て、犯人と被害者との不仲を確信する流れです。『つくたべ』の野本ユキと春日十々子もそれぞれ食べ物を冷蔵庫に入れては、お互い相手のものを食べないようにしているのではないかと、ついつい疑ってしまいます。
まあ、あくまで野本ユキと春日十々子はルームメイトでしかないのであれば、そういった生活も非効率ながらもありえると言えばありえるわけなのですが、そうするとここの「半同棲」「真剣交際」は一体何だったのでしょうか…?
そういった視点を持つと更に謎なのが第46話の慰めサプライズ弁当プレゼントです。突如出てきた「女性は貧困=平飼い卵」を始めとする未開封食材の数々は、勝手に使ったとすると普段は何故片方が2人分をまとめて作らないのかますますよくわからなくなりますし、春日十々子自身がこのためだけに買ってきたものであるならやっぱり食材は日頃共有していないのではないかという疑惑が生まれます。
共同生活としての話は置いておくとして、引っ越しが終わった後の話は料理をすることがとにかくネガティブな方向に捉えられているのを感じます。上記のセリフにしても、これまで忙しくて出来なかった料理にじっくり打ち込めるのを喜ぶわけでもなく、単にインスタント料理でみすぼらしい思いをしたのが不満だったということしか伝わってきません。
47話は寿司桶を買って気分が出たのを喜んでいるだけで、ちらし寿司の出来に関してはノーコメントでした。他の話にしても、野本ユキがモヤついた→無駄に大量に作る→春日十々子が処理の流れ作業というネガティブっぷりです。
結局のところ、『つくたべ』において日々の料理は負担でしかないというのが伝わってきます。春日十々子のたまに作る料理が慰めのシンボルになるのも、料理は負担を請け負った証だからなのでしょう。
『ONE PIECE』第840話(単行本第84巻収録)で料理を作った幼少期のサンジが「王族が奉仕をするな!!」と父親から激怒される描写があります。料理が好きな人には理解が難しいのですが、家父長制が染み付いているなど、一部の人にとっては料理は「卑しい」のです。
たまに野本ユキのために料理をサプライズで作る春日十々子が何故こんなに感動的に演出されるのかと言えば、『つくたべ』にとっても料理は「卑しい」からなのだと思います。『つくたべ』が女同士で家父長制をやっているみたいなことは以前のnote記事で私は書きましたが、残念ながら最後までそれは是正されなかったようです。
考えてみれば、料理を「卑しい」と思っている人が食べ物に対して敬意を持たないのも当然と言えば当然です。上記の食欲を大いに削いでくる食べ物イラストのえげつなさときたら実に見るに耐えないです。『つくたべ』の世界観では、料理は奉仕人が行うものにすぎず、食べ物で遊んで食べずに捨てても何とも思わないのでしょう。食べ物と貧困というのは非常に縁の強いものではないかと、私なんかは思ってしまうわけなのですが。
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