「ただいま」を言える場所~「実家」のような店をつくりたかった


”食卓に、陽だまりを。”がコンセプトの(株)ぽかぽかてーぶる音仲紗良です。
バインミーを1日100食→15食に絞る決断をしたこととそれまでの経緯について、先日のnoteに書きました。
米粉バゲット、数量限定で再始動。|オトナカサラ|note

ひとまず、2月から8月末までの期間限定で夜営業を始めます。
水・金・土曜日固定です。(2月は1日、15日、18日は休み)

有機野菜を中心にした野菜のおつまみ色々と
おでんと煮込みと唐揚げ・・・と音仲紗良のおうちごはん的なメニューです。
ぜひふらりと遊びにいらしてください。

「え、突然どうした」って思われる方、多いかと思います。

場所は経営している「マイバインミーバイグルテンフリートーキョー」であることは変わりません。

想いについて、長くなりますが最後までお読みいただけましたらさいわいです。

「実家ごはん」のような存在でありたい

わたしが学生時代から誰にも言わずに抱いてきた理想があります。
それは
「自分がなにもしなくても、食事が用意されていて、綺麗に掃除されている空間」。
一般的に実家と呼ばれる場所でした。

私が13歳のころ、事情あって母と暮らせなくなり、
父は日本よりも飛行機に乗っている時間のほうが長いほど多忙だったこともあり、その頃から自炊生活がスタート。

たとえば、当時、新聞配達のおじさんの手違いにより無料で届けられていた新聞(笑)の折り込みチラシを見て、土曜・日曜の朝市・夕市に赤丸をつけて、
1000円以上買い上げで卵1パック10円、牛乳2本で300円、イワシ10尾まで100円……
などをめがけて一人行列にならび、1週間分の買い出しをして
家にあるレシピ本を見あさって、見様見真似で食事を作っていました。

子供のころから食に貪欲だったので、食に妥協したくなかったこと、
祖母ができあいのものはあまり食べるなという教えをくれていたことで
なるべく食べたいものは作るように意識していました。
祖母の食育にいまでも感謝。

実際、コンビニのお弁当よりも、下手くそでも手作りの食事のほうが満たされる、
この感覚を10代早々に経験したことは、いまの仕事に生きています。

悲観的になっているわけではなくただの事実として前置きしてますが、
なので、実家という「箱」はあるけど実家の「機能」を果たす拠り所がその頃からなかった。
「ただいま」と「おかえり」が当たり前に行き来する、自分の城が欲しかったのだと思います。

お店を立ち上げてから外苑前も換算すると約2年半、
私にとって、このお店はまさにそうであると気付きました。

「紗良ちゃんのごはんを食べると、温かい気持ちになる」
「このお店にくると、なんだか元気がもらえる」
そう声をかけてくれるお客さんが多いのです。

昨年12月から、マイバインミーで夜営業をする機会が増え、
おばんざいを作ること、来てくれたお客さんの反応、
おいしそうに賄いを食べるスタッフの顔に癒されている自分自身、
そしてそんなわたしを近くで見ているスタッフ皆から、
「紗良さん、おばんざいを作っているときが一番楽しそうです」
と言われ
私がこの店を作ったルーツはそこにあるなとふっと気づきました。

ごちそうではなく、実家のような素朴なごはん

私の食べ歩きデビューは遅く、独立して2年ほどたった28歳の頃から。
当時ナッツ専門店を立ち上げるにあたり、
「一流を知らずしてよいものはつくれない」
と思い舌の経験値をあげるために半年ほど集中して毎日身の丈以上のお店を食べ歩き、
多い日は1日フレンチ2件、和食1件など。
貯金を切り崩して、脂肪を蓄えていました(笑)

いっぽうでマクロビオティックの勉強をしていく中で
昔ながらの和食の、自然の流れにのりながら心身のバランスを整える陰陽五行に即した計算つくされた食事法に傾倒。

ごちそうを巡りながら、日常食の尊さを並行して学んでいたからこそ、
毎日食べたいと思えるもの、本質的にカラダが求めている食事は
煌びやかなフルコースやホテルのモーニングではなくて、
ごはんと味噌汁と納豆とぬか漬け、そこに鮭の塩焼きがあったら最高
くらいの素朴なごはんだなと気づきました。

実際、私のおうちごはんは派手なものはなく地味なおかずばかり。
さいきんは夜は仕事で会食が多いので、朝ごはんをゆっくり食べることが多いです。

さきほど、食べたいものはなるべく作るようにしていた、
と書きましたが、作るのが億劫なときは子供だけで居酒屋チェーン店に食べに行っていました。自分の老け顔と年齢制限のゆるかった時代さまさまです(笑)

それは、オムライスとかハンバーグとか定食が食べたいわけではなくて、
きゅうりの和え物とか季節のサラダとか、唐揚げとか煮込みとか、
ごちそうではなく色んなものを少しずつ食べたかったから。
大型安値のチェーン店のメニューはほぼ制覇していたと思います。(笑)
ありがとう、〇民。

わたしが居酒屋メニューをつくるきっかけは、
1日100食出していたバインミーを15食に絞らざるを得なくなったことで新たな営業スタイルが求められるからではありますが、
突発的なことではなく、必然的なことだったのかもしれません。

PRのプラットホーム化

理想だけを語るつもりはありません。

おばんざい屋はひとまず8月末までと期限をきめつつ、
あの場所を弊社の仕事の中枢である"PRのプラットホーム"にしたいと思っています。

いまある商材は大きく2点。
日本酒と地方食材です。


依然として衰退し続けている地方酒蔵を救済する飲食店専用酒「ハレの日酒」の理念に共感し、日本酒のプロデュースに携わらせていただくこととなりました。

100石以下で、丁寧においしいお酒をつくっている酒蔵さんの価値を高め、適正価格で仕入れ、ミシュラン獲得店などの一流の店にのみ卸しています。
こちらの日本酒も当店で取り扱います。
 

地方創生の一環として地方の良質なフルーツや野菜を使った
ジェラートやスープの開発、これを食べ歩けるスタイルで提供できるようなプロジェクトを進めています。

たとえば、災害や天候により市場に出せず廃棄されてしまうフルーツや野菜。記憶に新しい例だと、昨年8月に北日本を襲った大雨の影響により大きな被害を受けた林檎。

そうした食材を使った商品開発を、あの店で発信していきたいと思っています。PRしてほしい食材などがありましたら、ご連絡ください。

同時に、あの場所に固執することをやめます。
意地やプライドって、本当に無駄なものだなと。
いろんな経験と学びをあの店を通じて得ることができました。

人間として、経営者として、2023年の音仲紗良は干支の卯のごとく飛躍します。ネクストストーリーをお楽しみに。

夜営業の予約については、
DMまたはお電話ください♪
090-3176-8131

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