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帰路。

 都心部には、都心ならではの僻地がある。ダイコンで名を馳せる練馬には畑がたくさん残っている。世田谷と聞けばハイソなイメージが花開くが、奥まった最果てには街灯もなく、夜は闇に支配される。
 都市部にも、取り残されたガラパゴスがある。

 東京イコール都会だなんて迷信に過ぎない。23区を離れればイノシシも出るし、ぽっとんトイレだって残ってる。

 山手線沿線とて例外ではない。過去、山手線沿線の各駅はそれぞれが栄華を極めた。だけど、みどりの窓口が消え、少し離れれば自治体の予算の関係で水銀燈の明かりが最小値まで絞られた。消えてしまったところもある。今ではそんな駅も見受けられるようになった。
 電気ばか喰いの水銀燈に代わって省エネLEDを風前の灯火みたいに灯した街(商店街)もある。予算の厳しさを反映するその光度は輝かしさに欠き、照射範囲を寂しさで染めている。
 確かにLEDは合理的な選択だったろう。だが、けちった末の交代劇である。明るさが加減されたせいで夜道が暗くなり、街が暗かったころの不穏がまた戻ってきたような気がした。

 光量を下げた商店街の夜道は怖い。魔の潜伏を意識せざるをえないのだ。角の闇に物盗りゴブリンが潜んでいるかもしれない。足元で影に溶けたドブ板の裏にまで、よからぬ魔の手が忍び寄っているかもしれない。
 
 その夜道をいく。
 
 闇は予算の都合とやらに左右されている。人通りが途絶える夜道に無駄にお金を使うより有効な手立てを画策しているのだろうけど……。

 暗い夜道をひとり歩くのは心許ない。まばゆい光の防犯効果は失せ、影に逃げ込んだ悪意が顔を出しそで恐ろしい。
 
 その夜道はまだまだ続く。

 その夜道をいく。

 光量の落ちた道は、間違いなく犯罪に近づいている。差し迫る闇はいとも簡単に正義を押さえつける。商店街といえども、それは昼の顔。賑わいをなくす夜は、買い物客に代わって魑魅魍魎が闊歩する。

 都心部にできた暗黒エリアは、加速度的に広がっている。街全体が闇に飲みまれてしまうのも、もはや時間の問題のような気さえする。
 
 ほとんど闇に支配された夜道をいく。帰るべき家はその闇の先にある。

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