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カウントダウン。

 大海原のように未来に開ける時間を思うより、時間はカウントダウンだよと残り時間を探るようになると、過ごす時間はその意味を変えてくる。丁寧に扱うようになる。コーヒー豆は急がず慌てず33回転のレコードのようにゆるり一定の速度で、それこそ粒を揃えて挽きたくなってくる。湯を愛おしく沸かすようになる。
 終わりに一粒のご飯も残してはいけない、その最初の一投にもきれいに食べきった結果としての茶碗を見据えるようになる。

 死期を宣告されたわけではない。余命いくばくもないところまで追い込まれたわけでもない。施設という姥捨山に追いやられたわけでもない。それら最終段階ははるか先にあり道のりは遠いけど、それでもゴールは必ず訪れる。そのことを思うと、時間は一挙手一投足に負荷をかけてくる。意識に意味を課すようになってくる。

 生きる糧のひと口ひと口にも重みが出てくる。薄味なら素材の、濃い味なら調味料職人の技の妙を追うようになる。

 社会との接点で散らす火花も見え方が違ってくる。
 花火は地上の万人に同じ大輪を見せる。観客はどこから見ても同じ形の花火に同じ歓声を上げる。
「玉屋〜」
「鍵屋〜」
 同調圧力もあって、敷かれたレールを潤沢に進むことを善とする。社会化された人類は、隣人と同じようにすることで己の安心を得るように教育されている。芝生は隣家で青く輝くかもしれないが、羨望なら致し方なしと諦観を軌道上で茶を濁す。そういうことができる。列車内にとどまっていれば、安穏としていられる。
 だが、火花はいけない、と人は火花を敬遠する。火花は庇護下にある客車の外で起こり、乗客を脅かしてくる。
 火花は常軌を乱す波乱の人災だ。不慮の事故の元凶たる天災だ。
 火花は、軌道を走る列車にあらぬ角度から圧力がかかり、車輪に伝わるよからぬ力がレールの左右どちらかに負担を強いて生じる悲鳴だ。
 悲鳴は激痛を伴うこともあれば、青空を暗転させることもある。
 未来を大海原と見ていれば火花は凶報で、お先を真っ暗にする。だけどカウントダウンの時間に生きると火花は夜空に咲く花火となる。多くの人はこのことをあまりよく理解してはいない。だけど、潤沢な日々はわりと平坦で、ちょうど刺激が欲しいタイミングだったなら、軌道を大きく変え直し修正するテコ入れは、欣喜雀躍の見せ場となる。ブレーキンの踊り場と化す。

 大輪ばかりが花火じゃないじゃないか。昨今ではミッキーマウスが夜空に微笑む図柄もあるそうじゃない。あれはあれで、観る人の立ち位置に依存して、角度が悪ければ平坦なミッキーは1本の線花火にしか見えない。
 社会との接点で散る火花も、見方を変えればいくらでも変化する。

 思考するゆとり時間は貴重だ。ぎゅうぎゅう詰め朝の満員電車並みのびっしり授業が、1週間の盆休みに入って、緊縛の糸が解かれている。緊張感は猛暑の後押しもあって、ぐだぐだに溶け、地べたを包容するようにフローリングの床に広がっている。
 授業再開まであと3日。迫り来る後半戦を指折り数えて見据えている。

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