仕事というものは。
仕事は生活の糧か。
人として生まれた者の天命か。
そして社会の、なるべくして組み込まれる歯車か。
だとしたら、その歯車の成れの果てとは?
仕事は宇宙と似ている。考えても考えても答えにたどり着くことはない。
それでも考えずにはいられない。
考えて考えて考え抜いて。
思考の無限ループへ陥ちていく。
哲学者は宇宙の果てを考えて、解け得ぬ難題、己の限界に絶望した。仕事を考えて考えて考えを重ねる労働者もまた同等の哲学者。解答に辿り着かない己の愚鈍具合を歯がゆく歯ぎしり、嘆き苦しみ臍を噛み、ときに酒に逃げることあれば、愚痴が針で風穴あけることもある。
だけど、どんなに足掻いてみせたって、問題は根本から解決を見ない。
仕事って、そんなもん。
だけどいつまでたってもゴールが見えないと、人は少しずつ焦り始め、心細くなっていく。一度ずれ始めた軌道が経年でその差が開いていくように、いちど巣食った不安は滲みながら蝕み、その歩数を確実に重ねていく。
それでも大方の場合、仕事を続けていかなければならない。
そしてリピート機能を効かせたミュージック・プレイヤーのように、局面の終わりを見届けていつもの定型文に戻っていく。
仕事は効率的な麻酔薬。没頭することで、悩みの熱を薄めていく。
(『三体』劉慈欣、2021年SFの読む旅において染み出した閃きの備忘録のようなもの)