100円玉の旦那様。
家族になれば傷つかないと私は勘違いしていた。季布一諾、籍を入れてしまえば会えない時間のよからぬ妄想も抱かずに済むようになるし、ヤキモキすることもなくなるだろうと。
しばらくの間は思惑どおりの展開が続いた。だけど家族になったことで傷つくことがあるって結婚して初めて知ったし、なにより私の彼への好き感情が、穴の空いたポケットからいつの間にやら無くなっていた100円玉みたいに消えてしまった。
落としたものに名札でもついていればひょっこり出てくることもあるのだろうけど、なにせ100円玉なのよ。拾ったほうも交番に届けるのに躊躇いがあるでしょ。誰が落としたか特定できるはずのないものに、届ける価値があるのものですか。それはネコババ心理とは違う。悪気はなくても、大人的常識判断が気持ちを揺らすってわけ。
私は気づいてしまった。彼の価値は100円玉だったのだということに。そして私は穴の空いたポケットにその100円玉を入れてしまった張本人。違ったポケットに入れとくくべきだったかな?
まいっか、100円玉の1枚くらい、誰かに拾われれば拾った人が100円分、幸せになれる。私は100円分の幸せ振る舞い者。
ときどき思う。失くした100円玉は、本当に100円の価値しかなかったのだろうかって。もしかしたら記念硬貨級で、世間の100円よりずっと価値があるものだったのかもしれないなって。
だとしたら、拾った人は丸儲け。その価値に気づいてくれればの話だけど、鑑定したら100倍の価値がありますよ、なんて言われてたとしたら、狂喜乱舞するんじゃない? そんなのニュースで流れて私が目にしたら、どんより落ち込んでしまうのかしら? それはきっと落胆へのとどめの一撃、身も心も地面にめり込んで再起不能になっちゃう化も⁉︎ ってことになるわきゃないか。
100円を拾った人がいるとして、鑑定団に診てもらって、価値が予想以上だったとして、それを公表するなんてことするわけないもん。取得物を我が物にしたことがバレたら、警察沙汰の大騒ぎになっちゃうもんね。危険な橋は渡らないでしょう、ふつう。
拾った人がいるのなら、せめて互いに幸せになってちょうだいな。
失くしたほうの私はどうするかですって?
そんなの決まっているじゃない。今度は1000円札を探すのよ。人生は長い。高みは見上げるほどの頂をもって私を待っている。これから、これから。
いないかな、どこかに素敵な千円札が。