東京の問題は濃度だったんだ。
地方都市には、中央にない濃さがある。
裏を返せば、中央は先進諸国の伸び代に媚びているところがあると思う。
かたや地方はマイペース。媚びていないぶん、濃さが残されている。
旅をすると、中央たる居住地域の驕りが見える。東京が飛び抜けているのではない。頭ひとつ分抜けているかもしれないけれども、背伸びで爪先立ちしてるから、間の抜けたところも浮き彫りになってくる。
東京は巨大だけれども、どこか薄まっているような。地方に引き継がれているような濃さがない。一丸になって世界標準に追いつこうとして、追い抜こうとして、一番になることを目指して、そんなことに躍起になっているものだから、結果、薄まってしまっている。
東京が嫌いなわけではない。昨今、危なっかしさを感じ始めただけだ。放っておいたら東京はさらに薄まっていく。薄くなって平らになって、紙一重の紙ほどのされて均されて、遠くから見たら在ることさえ気づかれなくなってしまうかもしれない。
現実問題としてそんな悲しい結末を迎えることはないし、たとえこの手を東京に貸したとしても何の役にも立たないのだけど、地方の濃さに触れると、つい余計なお節介を考えてしまう。
がんばれ、東京。ぼくは地方で旅行を全力で楽しんでいる。