考える葦と言うよりも。
人は人に作られる。もっと自分を作りたいから人に合う。
人って社会に出ると、異動とか転職でもない限り、なかなか新しい人に出会えない。だから新天地には期待がこもる。
そんなふうには考えないの?
貴方の言うことはわからないではないわ。ある意味、正論だから。そして正論は筋が通っているように見えてしまう。
だけど私は貴方じゃない。人に作られるとも考えていない。私は人と距離を置きながら接してきたし、それでも私が形作られていった。私が私を作ってきたのよ。人に作られてきたなんて微塵も感じたことはない。
異動で気落ちしているなんてこともないのよ。与えられた職場で淡々と仕事をこなすだけ。仕事ってそういうものでしょう?
ーー人と人とは分かり合えないんじゃない。微妙にすれ違いながらも、社会の血管で同一方向に流れている。悪く言えば呉越同舟、その実運命共同体。人って考える血液。それぞれが主張し合いながら(白血球とかヘモグロビンなどがその数値を健康診断で暴かれるーー可視化されるーーみたいにして)、社会という躯体を未来に動かすのに共同戦線を張っているのだ。