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私たちは聞かれている。

「おまえまた店の煙草ば黙って持ってきよるが。ほんなこつ腹のたつ」と叱られていた鉄矢少年もやがて立派な大人に育ち、金八先生となって補導される側から指導する側の人となった。
 かつての少年は歌った。
 
♪ いつも聞こえるあの母親の声、僕に人生を教えてくれた〜 やさしいおふくろ
 
 私たちは前を向きながら後ろを振り返り、常に何かを囁き続けている。
 私たちの囁きは、じわりと体の枠から染み出して、不覚にも外に漏れ出している。
 
 私たちの囁きは、聞かれている。
 
 かつてノーベル文学賞受賞を囁かれながら、寵児になれなかった潮流からはじかれし日本の小説家は、色と音と匂いと、そして感覚とで物語を紡いだ。文字で刻めば記憶できたものを、主に収録技術が確立していないばかりか研究の入り口にさえ立っていない感覚を主に描きあげたものだから、読み終えるとたちまち物語はケムのように消えていった。
 読者は読後、みな同じことを口にする。「どこにいってきたんだっけ?」。そうして読み終えた1冊の本を手に、呆然と立ち尽くす。
 ぼわんとした読破の感覚は確かに残るが、先刻まで滞在していたはずの実体がよく見えてこないことに納得できないのだ。後追いでページを遡っても、もう遅い。そこにあったはずの文字はすでに消えてしまっている。「お客さん、電車が来ましたよ」と放った駅係員の言葉が、電車の入線と同時に死んでいくのと同じように。
 
 彼は『風の歌を聴け』と教えてくれた。
 
 風に歌があって、それを聴け、とな? 風はどのように歌い、何を教えてくれると言うのだろう?

 私たちは、文字にするしないを問わず、常に意識を発している。集積回路の仕様書みたいな伝達に間違いがあってはならない緻密な計算の上に成り立つ塊もあれば、嗚咽に咽ぶ短くも重い吐息もある。
 
 私たちは、いつも発している。
 
 そして私たちはいつも、誰かにそれを聞かれている。

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