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「無料」のからくり。
「ご自由にお持ちください」。よそんちのガレージ・セールに書かれた一文。昨秋には、柿木マンションなる名のマンション敷地に実った柿の実を、集めて並べて「ご自由にお持ちください」とあったから、4ついただいて干し柿に。
昔人は、無料と言う誘いにまんまとしてやられ続けたのだろう。タダだからと飛びついて、釣られたり(アナログなフィッシング詐欺)、法外な修理費かかったり。だから「タダは高くつく」と学び取った。
昨今では無料の幅が広がって「業者に頼むと高くつく」だったり「まだ着れるし有効利用できるなら」だったり「もったいない精神」などが滲み出て、無料の歌い文句にも、耳を澄ませば、明るい音色がまじるようになった。
数日前、ポテンヒットならぬぽとんと琴線にヒットしたのは、「その手があったか」の無料のカラクリ。タダで使う代償が広告視聴、という公式には馴染みがあるからわかりがいいけど、『利用者が生産者』という思いもよらぬ発想が、あのソフトを無料たらしめていたのねん。
大筋でいえば広告収入という儲けのカラクリはおんなじだけど、パーツひとつじゃ意味をなさない情報を集めて、まとめて、加工して、販売したら大当たり。
新聞には「利用者は生産者」と書かれていて、その定義に感嘆の声をあげのだった。
ほう。
ま、平たく言えば、電脳処理された集積情報をクライアントに提供して稼ぎ、電脳コミュニティを利用制限なしに提供する企業体なわけだけれども、なんと素敵な仕入れ値ゼロの生産工場、タダから高い金を稼ぎ出すものがここにあった。大学名簿を共有してやろうじゃないの、というアソビ心がはじけて広がり、楽しんでいるうちに企業になって、メガに育ったメタのいま。
電子を含めた貨幣で支払っているわけではないけれど、金の成る木を提供し続けていた私たち。これは便利の代償か、それとも新しいビジネスモデルの発明見本か。思考多面体は、またしても解答の出ない難題の海にネットサーフィンの旅に出る。
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