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恥の多い人生の作り方。

 割と多くの人がピュアに生きたいと考えている節があるのに、社会がそれを許してくれない。多かれ少なかれ手を汚さないと生きていきにくい社会になってしまったからなんだね。
 あるとき声を聞いた。「率先して悪に手を染めているんじゃない。社会が汚れ役になれと仕向けてくるんだ」。だから自らの手を汚れで染めて、他人を汚す。そうすることで、取り繕った社会に浮かんでいられる。海面上の無垢な氷山と違って、海面下で支える土台は腹黒の混じったマダラ模様なのさ。
 このように他人を貶めることで、汚れ役がピュアな板にこびりついていく。

 でもこれっって、所詮は苦肉の策の逃げ口上。もがけばもがくほど肉に食い込んでくる有刺鉄線のように、元来やわな精神は脆くも締め上げられていく。

 そのような汚れの循環が連続して繰り返されれば、息が詰まって苦しくなってくる。振り返れば、他の誰よりも気だるく汚れていた真姿が自他ともに顕になる。

 かつて住んだ三鷹の、太宰が気にかけていたJRの跨線橋が姿を消す。新聞に耳を貸したら、そんなことを言っていた。頭では理解できていても、聞くと観るとでは大違い。はるばる足を運ぶと、それは確かになくなっていた。
 太宰は自分を汚し、恥ずかしい人生を作り上げていった。跨線橋は消えたけど、恥の多い人生は作品に固く長く閉じ込められている。


※未来の思い出の創作です。三鷹跨線人道橋は撤去予定であり、作稿時、撤去されたという報道はまだなされておりません。

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