クールなあいつ。
時間は空気と似ているね。あるのにわかりにくいし、ないと困る。違うのは七変化の空気と違っていつだってクールだってこと。そよっともしないし、ぴーぷーとも騒がない。春一番顔もしないし、隙間から忍び込んでくることもない。風と手を組む空気と違い、孤高で凛とする。リンと音をたてることはある。
チクタク秒針重ねても、日めくり、日記、歴史印を刻んでも、間伸びもしなけりゃ縮みもしない。笑わなければ騒ぐこともない。感情剥き出すこともなく、黙々とチクタク、淡々と。澄まして、等間隔で「ゆく時」を送って「くる時」を迎えるだけだ。その繰り返し。
「時間よ止まれ」は叶わないし、「時間泥棒」でも盗めない。まるで奇跡な知覚の世界に産まれ出で、猿人が進化するように蓄えてきたその知恵で読み解こうと我らが頭脳があがいても、あちらさんは意に介することなく「息をしているうちにわたしの謎を解けるのかい?」と冷たい流し目で問うてくる。
解けもしないのに考えるのは、人生そのものだと思わないかい? 我らは解くために生きているんじゃない。考えながら継いでいくために、それぞれが1世紀弱を埋め、秒心を渡していくんだよ。