無常の功績。
観る、聴く、読むが積み重なって、文化の層が厚みを増した。土台は土台。いま芥川龍之介を読んだって、下のほうに踏み固められた化石の音が聞こえるだけ。遠雷の日記を読むようで、現代までその息づかいは届かない。
ああした時代もあったよねと、中島みゆきのひとり語りに聴き入りながら、豆粒ほどまで離れた客席から、かろうじて届く風化し始めた声を拾うだけだ。
過去が悪いと言っているのじゃない。土台があるから今がある。川端さんも夏目さんも、今日にバトンを渡した功労者。ああした人たちがいなかったら、春樹さんはパン屋を襲撃していたかもしれないし、イシグロさんは悩む外科医になってたやもしれぬ。
スター・ウォーズがあったから、劉慈欣がいる。そのスター・ウォーズだって、火種をくれた人がいるはずなんだ。
ウルトラQが背筋を凍らせ、アトムが夢を見せたから、ガンダムが生まれ、エヴァが現れた。
巨大化する正義の宇宙人がいなかったなら、進撃する巨人は生まれただろうか。人間に生き写しともとれるロボットが悩まなければ、鬼滅の刃の鬼の組織は、社会を生き写したようには悩み苦しまなかったに違いない。
あれらがあったから今がある。無常はかくして人類の、文化のレベルを押し上げてきた。
情けなくも頼れる者にすがり続け、「あにき〜」と波打つ心情を声に乗せショーケンの後ろをつけまわしていた水谷豊さんだって、その後、先生を経て今や絶大なる信頼の右京さんに生まれ変わった。
土台は、脱皮の足場。
文化は、生物学や経済学とは別のところで進化している。
共通点もある。過去は、礎だ。
そしてどんな過去にだって、踏み台としての度量が備わっている。
太宰は、恥の多い人生に足踏みし、土手から足を滑らせたけど、それでもあの短い生涯で、未来のファンを作る素地を固めた。
過去は足場。
どんな過去だって、なければ未来への羽ばたきはない。
たとえそれが父親にぶっ飛ばされるほどの男親との確執だったり、おごりで踏み外した失敗にうずくまった日々だとしても、苦渋から生えてくる翼は苦渋をはね除け、辛酸に溶かされた身からは辛酸から身をかわす羽が生えてくる。
翼は、経てきた過去により色彩を変え、オリジナルな音符の鱗粉で道を築く。
無常の時間は降り注いでは堆積し、地となり踏み固められ、人はその大地を踏みしめ顔を上げる。
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