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規制線。

 間違った使い方ってある。

 だめだってわかっていながら、つい使ってしまうことがある。指に刺さった棘はカッターで取り除けば容易に問題を解決できるし、夏の目覚ましを暖房のタイマーに頼れば確実に目が覚める。
 ストリートピアノを聴かせるためでなく練習に使用するのも間違った使い方だ。
 とあるストリートピアノに、それまでなかった注意書きが貼られていた。練習や音を鳴らすだけのピアノ使用は騒音になるだけで不快なのでやめてください、とあった。

 間違っていると知りながら間違った使い方をしてしまうのには2とおりあることに気がついた。

 間違っていると知りながら使ってしまうものと、間違った使い方だと知らずに使ってしまうもの。二者は似ているが、土台が違う。前者は軌道修正もしくは怖いもの見たさを視野に入れているが、後者はいちど逸れた軌跡を知らずのうちにさらに逸らしていく。
 どちらが幸せか問われて即答できる人はいるだろうか。もし即答の奇特な人物に出会ったら、その方を信用できないな。即答することでどのように受け取られるかをイメージできないようでは、底の浅さを露呈しているようなものなんだもの。
 
 間違った使われ方をしていても、無防備に指摘してはならない。世界にはあったかごはんにマヨネーズをかけて「うまい」と満足気に鼻を鳴らす者もいるのだ。
 
 ただ、傍観のラインは語るに容易く、引くに難い現実がある。

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