正当化の小まわり。
人はときどき自分に言い訳をして例外をつくる。自分の心さえ欺いてしまえばこっちのもの。どんな理不尽も正当化されてしまう。
「今日は特別、ケーキ食べようっと。明日から始めればいいことだし」、ダイエットのモチベーションを上げるのに、確かに効果はあるかもしれない。
「憧れのハワイ空路、ついにゲット!」、3年間、自粛の穴のムジナ同士、テレワークの彼女と一緒に。解雇で無職で、微々たる日雇いでどうにか食い繋いでいるけれど、借りても返せばいいだけのことだし。ダイエットと一緒、我慢は体に毒だから。(暮らしの毒を顧みないことって、たまにすることあるから、わからないではないけれど)
「iPhone16、20万円。分割すればどうってことない」、チリも積もれば山となり、毎月の返済額がオーバーフロー。「こんな時のための毎月定額リボ払い」、それって積もった山を未来に広げただけに過ぎないよ。積もったチリの量は、利息を乗せられ突きつけられる。
「宿題、明日やろう」、宿題といえば夏休みの宿題。遊びに呆けて最終日に賭けるダッシュのラストスパート。昭和の小学生はいつだって勢いで窮地を凌いでた。そんなメリハリのある日々だから、つい。でも「1学期が終わる日にまとめて出そうと思ってました」は効かない。翌日までの提出だった。時としてこのように強固な壁に阻まれ弾き飛ばされてしまうことがあるけれど、ちょっとやそっとじゃへこたれない。「失敗は成功の元」と気を取り直し、いかに言い訳で言い逃れるかを考える。
今や猫は国民的アイドルの様相を呈している。ギネスに載る猫もいれば、喋る猫もいる。いかつい男のハートを鷲づかむ仔猫もいる。
「あなただけよ」。言われる猫は注がれる愛情にまんざらでもない。愛されることに慣れてしまって、鼻を高くしてしまう。
でも。
「あ、ごめん。ミッキーは別よ」。平気で裏切られることがある。人は猫をも驚かせる変わり身の速さを身につけている。