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離れてから便壺に到達するまで間があった。あのころは、何においても離れてから到達するまで間があった。問われて答えるにも、逡巡を迎え入れる大らかさがあった。あの間がよかった。
今じゃ、青信号と同時にアクセル踏まなきゃクラクション。スタートシグナルのカウントダウン、ゼロで飛び出しチェッカーフラッグ、勝ってガッツポーズ、負ければ悔し涙も、秒刻みのスケジュールが終わった時間をたたみかけてくる。
切り替えが大事とは今に言われたことではないけれど、あのころは思いっきし後悔を積む間があった。後悔を小石に変えて積み上げ天まで届き、見上げては「ちょっと違う」と卓袱台返し、最初からやり直し、それでもなお納得いかず、油絵なら塗り足した絵の具が厚みを育み立体彫刻になってただろう。
そんな間があった。
誰だ? 人から間を抜いていったやつは。
油絵なら厚みを持たないのっぺら薄色、まるで現代人の人格を象徴しているみたいに思えるよ。算数なら『人ー間=⚪︎⚪︎』の公式で表せそう。で、その計算式の『⚪︎⚪︎』に当てはめるべき答えは何でしょう?
現代を生き抜く強か者は機知に富んだ頭脳を駆使して、「無駄をなくせば♾️(無限大)」と答えそうだけど、本当にそうかな。間を抜けば、人は生身の機械になっていく。AIに操られる考えない肉体に成り下がる。葦にさえなれない。
間を抜いちゃいけない。間抜けになる。
でもそれはそれで、案外幸せな生き方なのかもね。今を生きること考える間は、胃を痛くする。
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