幻のライバル。
車でもオートバイでも、さて自分の使い方や好みに合うかどうか、と疑問の答えを試乗に託すことがある。不慣れな食品の試食の誘いに、つい手が伸びてしまうのと似ている。不慣れな食品の試食をおやつととらえる向きは別として、気に入れば買う可能性が高まるし、違うな、と直感が意思決定部門に忌憚のない意見を送れば購入には至らない。
ハーレーは何台か所有してきた。癖のあるエンジンを嗜好する傾向が強いことが、贔屓のメーカーの頂点にハーレーを居座らせる。
だけど試乗を含め、いくつかの車両を確かめてみると、ハーレーの全車種を好きになれないことがわかってきた。次の候補にならないのだ。とくにツインカムと呼ばれる1450cccのエンジンを積み、今のハーレーにつながるあるシリーズには、100年の恋もとたんに冷めた。ダイナマイトバディをゆっさゆっさと揺らすエンジンは、それこそがハーレーの証。なのに、ソフテイル・シリーズときたら、快適な走行をキーワードに、揺れない、ぶるぶるしない、優等生のホンダ的なアメリカーンなシリーズをリリースしてきたのであった。
使われた技術は、不快な振動を打ち消すバランサー機構。これで不要な雑味が拭い取れる。あったものをなかったものとして処理できる。
何時間にもおよぶ長距離を何日も同じ姿勢で走るアメリカなら、むしろエンジンは粗さを取り除いた快適な車両のほうが都合がいい。だけどアメリカと違って1日1000キロを超える長距離を何日も走り続けることのない日本では、アメリカ製オートバイに連日の快適は求めない。
そもそも日本のバイク乗りは、ハーレーの不躾で荒くれぶりにこそ憧れの目を向けてきたのだ。優等生ならホンダに勝るものはなく、不快な振動やゆっさゆっさの剥がれたハーレーに、なんら魅力は感じなかった。これが、いつの間にやら古い類にカテゴライズされてしまったひとりの旧バイク乗りの本音。
毎年、バイク乗りは生まれる。自分の生きる時代に伸ばすことができる手で、つかめる夢に手をかける。
最初に手にする車両が、揺れない、ぶるぶるしないハーレーであれば「ふむ、これがハーレーというやつか」と、ひとつの基準ができる。優等生になったハーレーでも、ホンダと圧倒的に水の差をあけられる違いがあって、その輝ける星に人は手を伸ばす。それはエンブレムに『HONDA』ではなく『Harley Davidson』と書かれていること。偉くなったわけではないのに、エンブレムは人の鼻を高くさせる。
だけど旧バイク乗りは、そんな震えないハーレーは選ばない。買って乗ったら「どかどんどかどん」と足りない分を声を出すことで補ってしまわうに違いないから。裸の王様がさも豪奢な服を着ているのだと自己暗示をかけたように、「本来の君はゆっさゆっさでぶるんぶるんなんだわさ」と幻想で落胆を覆い尽くしてしまったろう。
でも、そんな無駄はしない。納得できないものは買わない。試乗というのは、判断の刃を冷酷に突きつけてくるものでもあったのだ。
長々と書いてきたけれど、では国産車はハーレーに敵わないのか、というのが本稿の主題なので、いよいよ佳境に入らせていただこうと思う。
ハーレーにゆっさゆっさのどこどんどこどんを求めるなら、バランサー機構が搭載されていなかったラバーマウントのダイナというシリーズ止まり。ハーレーには小粒のスポーツスター・シリーズというのもあって、リジットマウントのこちらは空冷シリーズ全般にわたって味のあるクセがあって、乗ればムフフの鼻が鳴る。
そうしたバリエーションに富んだハーレーのラインナップに、10年前、ヤマハが喧嘩を売った。
結果は。
剣もほろろ。世界にはハーレーを真似たアメリカン・タイプが何車種もあって、ハーレーならずとも受け入れられており、ヤマハ製の950ccクルーザーにもファンはついたのだけれども、日本では「真似リカン」と揶揄され軽視され、不人気車に終わった。日本人の本物志向は揺るぎなく、いいものはいいと認められない偏見ぶりは相変わらずだ。
だけどそのヤマハ製950ccアメリカンは、少なくともソフテイル以上にハーレーをしている。ダイナ以下、空冷スポーツスター以下ではあるけれども、もしかしたら、と思うところがある。BOLTと名付けられたヤマハ製アメリカン・クルーザーがライバル視していたハーレーは、2000年以降の調教され始めたものではなく、それよりずっと前の旧車ハーレーではなかったか、と。
高速道路を走れば快適なのは80キロまで。80キロでの巡行こそが最高に気持ちいい。ゆっさゆっさのどかんどかん加減はだいぶ加減されてはいるけれども、無くなったわけではなく、これって1979年製、ハーレーがまだダイナ・シリーズとソフテイル・シリーズとに区分する前の、FL系、FX系で系統立てていた時代のショベル・ヘッド1340cc、所有していた過去の相棒、FXSローライダーそのものの乗り味じゃないか。
BOLTに乗ったことがあるわけではない。新車で売られていた時期に試乗しそびれてしまったせいで。
ライバルは過去に存在する。BOLTが過去のハーレーの後ろ姿を追っていたのではないかという思いが、販売終了になってしまったBOLTの影を追いながら去来する。