「弟をいじめるものではありません」と母は言う。
小便小僧のごとく両目から涙を飛ばす弟横目に、げんこをもらった僕が泣く。
「まあまあ」と、きかせた睨みを緩めない母との間に父入る。
「いじめは無くならなかった悪玉だから、うまくつきあっていけるようにしていかなければならないよ」
母はしぶしぶ、きかせた睨みを解いていき、それでも釈然としない顔をして、宙ぶらりんになった叱責に辛そうな顔を浮かべてる。
「いじめの気持ちは誰にもあって」と父つづけると、みなが父に向き直し、すっかり聞く気になっていて、3人そろってしゅんと項垂れ、正座になって並んでた。「いじめは最初、家族に向かって試されるものなんだ」。
僕は試したつもりはない。そうなっちゃったんだとちょっぴり不貞腐れた。
「わざとでない場合もある。わざとやる場合もある」
あれ? 父は思ったことを見越していたの、と僕思う。
「だけど」と父がつづけたことで、3人そろって襟元正して顔あげた。話が希望の光に変わりそうな予感があったから。
父はつづけた。「家族は大切なものじゃないのかな」。
僕は父の言葉を心の中で繰り返し、呪文のように唱えたら、これまでの思い出がひとつふたつと湧いてきて、それらがあまりに眩しかったものだから、たまらず目をきつくきゅっと閉じてしまった。
僕は気づいてしまった。眩しい思い出に、僕は泥を塗ってしまったことに。
そして、ちっとも希望の光じゃなかったことに、落胆してしまったんだ。
僕の気持ちの不沈をひょいと乗り越え、父、さらにつづける。
「大切な家族をいじめると、あとになって嫌な思いをする」
僕はこの時すでに自分自身が嫌になっていたけれど。
「でも、嫌な思いをしないと、いじめがどういうことをもたらすかわからない」
僕は、充分に嫌な思いに襲われています。
「私が」と父が言う。「どうしてみんなを前にこんな話をしたかというと、家族でいじめというものを考えてみたかったからなんだよ」。
それから父は母に微笑み、僕を優しさで射り、弟を寛容で包んだ。
「社会に出れば、いじめにも遭うし、いじめたいと思う人が現れることだってある。その時になって思い出して欲しかったから。みんなでこうして話したことを」
心が球体のようなものでできているとしたら、僕の心に1枚ヴェールのようなものがかかったような気がした。その幕は、優しさであり、防壁であり、自制のようなものだったと思う。大人になってから、僕はその幕の存在に、考えさせられたこともあったけど、助けられたことがなん度もある。