エッセイ「書いたものをあとから直すことについて」
私は元来神経過敏なので、一度投稿した記事をあとから何度も直してしまう。散歩したり湯に浸かっていると、「あ、あそこの細かい言い回し、あっちの方がよかったかな」などとつい思ってしまうのだ。うろ覚えで書いたことに事実誤認があって、それを誰かに指摘されやしないかとビクビクもしている。しかしあまり行き過ぎると神経症になってしまい、これは剣呑だ。そんな私にとって、江川隆男『すべてはつねに別のものである』のあとがきはとても響いた。
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第II部の既発表の諸論文に関して言うと、若干の文字の修正以外、ほぼ手を加えていない。というのも、それらは、つねに完全性のなかで発表されたものだからである。少なくとも、私はつねにそのように考えている。これは単なる自己満足でしかないかもしれないが、スピノザは「自己満足」を肯定的な感情として定義していた(『エチカ」、第三部、諸感情の定義、二五、参照)。
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江川先生からはいつもこのように決然とした態度を感じて尊敬しているが、衆生である私たちはなかなかそこまでの境地には達せない。いずれにせよこの言葉を心に留めながら、直しは最小限にして次へ向かっていこう。
余談だが、私は「反省会」というやつが大嫌いである。昔自分が携わっていた雑誌で、刊行後に反省会をやろうというので「そんなことに何の意味があるの。次へ向かおうよ」と言ったことがあった(と友達づてに聞いた。往々にして本人は忘れているものである)。そういう性分からすると、過去のことにクヨクヨしないんじゃないかと思われもしよう。だがその実、人一倍クヨクヨするからこそ、人前ではそういうのを振り払いたいので「反省会?なんか意味あんの?」くらいの強気に出るのである。だから本当はチクチク色んなことを考えてしまうのだ。もっと豪胆な人間になりたい。川柳で〆よう。
「豪胆で思い浮かぶのバルザック」