エッセイ「問題提起的な人でありたい」
私のインスタグラムを見たことがある人ならご承知のことだが、私はよくフェイスペイントをやっている。これは10年前から折りに触れてやっていることだ。
なんでか、と問われると、つい「問題提起的な人でいたいから」と反射的に応えてしまう。ではどんな問題を提起しているのか。顔を塗ることで。
そう言われると、よくわからない。だが解かれるべき解答が先にあるようでは真の問題とは言えない。未知の問題(=違和感)を与えてこそのものだ。
ラーメンズの「study」というコントの中に、私のこよなく愛する一節がある。本当はもう少し前後も(というか全体を)提示したいのだが、核心部だけ。
小林「様々な偏見にさらされてきました。みなは私にこう言いました。“あいつはいったい何なんだ”って」
片桐「僕も今そう思ってます」
まさしく、私の生命活動そのものが「あいつはいったい何なんだ」と言われたいがためのものであるとさえ言える。それを江川隆男は『超人の倫理』の冒頭で「他人に対していつも例外性を示しつつ、他者に対して不可解な者になりたい、という気持ち」と表現している。私が「解答表象型人間から問題提起型人間へ」という考え方を学んだのはこの本のおかげであるが、誰もそれをフェイスペイントとして結実させろと言った覚えはない、と著者に叱られてしまいそうでもある。でも私は辞めない。これからも自分にとって問題提起だと思う行動を続けていきたい。それは断じて迷惑行為の類ではない。そうではなくむしろ、人を笑顔にさせるような活動でありたい。