淀川長治の映像を6時間ぶっ続けで見た10代のある日

このエッセイで書きたいことは、ある意味タイトルですべて書き表せてしまっている。淀川長治の「日曜洋画劇場」の映画前と後の解説映像だけを集めたDVDを、6時間ぶっ続けで見ていた謎の一日が今でも忘れられない。なぜこの話を書いたかというと、昨年末に北村洋という方の『淀川長治』という本が出たという情報を最近キャッチし、まだその実物を見ることは叶っていないのだが、その本の情報とともに、にわかに上記の思い出が甦ってきたというわけだ。

淀川長治については、蓮實重彦が面白いことを言っていたように記憶している。蓮實ほどになると、淀川がどの映画を本当に面白いと思って紹介しているか、あるいは実はつまらないと思っている作品については語り方が微妙に違うとか、そういうことがわかるというのだ。彼によると、淀川は好みでない作品を紹介するとき、いたずらに細部に拘泥した喋りをしたり、ひどいときにはそれが全然違う映画の話だったりすることもあったようだ。私は淀川まみれになったあの一日だけでは、そこまで判別することはできなかったが(そもそも私が7歳のときに死去されているのだからほとんど同時代人とは言えない)、それでも淀川の語りの中に沈潜したあの時間は今の自分になにかをもたらしているはずだと信じたい。

もうひとつは丹生谷貴志が『家事と城砦』の最初のほうで、淀川の「私には嫌いな人がいない」という発言を、実はすごく残酷なものなのだと読解してみせた箇所が非常に面白く、ぜひそのことについて書きたいのだが、この本は今手元にない。図書館で借りてきて書けよと言われてしまうかもしれないが、私は超絶「鉄は熱いうちに」人間なので、今ここで起草してしまった原稿は今ここで提出したい。ともかく待つということができない。そんな性格のため、丹生谷の論について詳しく知りたい方はその本にあたっていただきたい、と言ってドロンさせていただくことにする。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…

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