エッセイ「私が愛する“身も蓋もないものども”についてお話しさせてください」
私はこれまで「げんきなおともだち」概念を主軸に展開してきたが、それがヤヌス像の半身であったとすれば? あるいはこう言い換えてもいい。「げんきなおともだち」の特性とは? それには「身も蓋もない」という言葉をもって答えよう。この言葉も概念として鋳固めるときがきたようだ。
きっかけは、いつも聴いているとあるラジオ番組だった。ラジオネーム「ひざかたとしぞう」という人がいた。もちろん、ひじかたではなく、である。この音域に背筋が震えた。「これだっ」と直感的に思った。しかもそれは初めての震えではない。今まで何度も体験していながら、それらを「身も蓋もない」という概念のもとに統べてよいと神の号令が出たかのような、そんな震えだった。
思えば、ラジオネームというものはだいたいこれくらいのくだらなさがちょうどよいとされる。同じ番組で「シタンツ瑛二」(ウエンツではなく)という人もいて、これもまた痛快だ。ラジオネームは今後も聴き流さないようにディグるとして、他にこの音域を持つ「身も蓋もないものども」はないだろうか…。
そう思ったとき、幼い頃から愛好していたポケモンが思い当たった。女医のジョーイさん、巡査のジュンサーさん、命中率を上げる薬「ヨクアタール」、更にユンゲラー、サワムラー、エビワラーといった明らかに実在人物をモデルにしたポケモンたち…。
中沢新一の『ポケモンの神話学』にも、ポケモンについてそこそこ魅力的に書かれていたが、もっとなんてことはない、私はその「身も蓋もなさ」に萌えていたのだ。
「身も蓋もない」とは、ダジャレだろうか。私自身あまりダジャレを好むという感覚はない。どうやら少し違うようである。「身も蓋もないもの」探しは今後も続けるとして、最後に自分自身の「身も蓋もない」の原体験を話そう。それは6歳頃に考えた「安店(やすみせ)」である。ここではどの商品も安い。嗚呼、なんと身も蓋もないんだ。勝手な自負ながら、これが未だに個人的最高傑作である。これを超える「身も蓋もない」を探して、私の旅は続く。