エッセイ「親ガチャ、大当たり!」

最近「親ガチャ」なんていう言葉がよく使われるが、それでいうとうちの親はA賞、いや、特賞クラスの大当たりだ。まず私のことを肯定的に見てくれる。ニートだからと言って「社会に出て真っ当に〜」とかいう抹香臭い説教などしたためしがない。私が口紅を使って顔を真っ赤に塗ると、「いいぞ、もっとやれ!」と言って更なる問題提起を促してくれる。いつも私の一番のファンでいてくれる。みうらじゅんも、色々エロ関係のこともやっているが根底にあるのは「母親を喜ばせたい」精神だと言っていた。それをややハスに構えて「親孝行プレイ」と言ってみせるみうらも可愛い。たしかに親孝行一般につきまといがちな堅苦しいイメージをこの言葉は払拭してくれる。それで言うとうちなんて親孝行プレイパークだ。日がな一日noteを書き、インスタにフェイスペインティングを上げ、ギャグを披露し、これが親孝行でなくて一体なんなのか。お金を稼ぐことだけが親孝行だと思っているやつなどは、一度焼き鮭の固ーい骨でも飲み込むといい。親と直接話すことだけが親孝行でもない。私は父とは交換日記でのみ会話している。私が小津安二郎や黒澤明を教えると、60代後半ではあるがこれまで通過してこなかった父は喜んで見る。「こんな面白いものを今まで知らずに来たなんて!」と返事をくれる。これがコミュニケーションでなくて何だろうか。ジャ・ジャンクーの映画はすべて見た。ミーアイのメンバーもすべて覚えた。こんな68歳もなかなかダンディーでイケてるだろう。友達になりたいという人があれば、ぜひいいねボタンで知らせてほしい。
母親も最近では夏目漱石の虜だ。高校教科書版の縮約された『こころ』くらいしか読んだことのない所謂「ふつうの人」代表である母も、『坊っちゃん』の痛快さや、『思い出すことなど』の思索の深さに胸打たれている。「これは古井由吉も相当読み込んだと思われるね」などと一丁前に批評までする。そんな母や父が、今日もおいしいご飯を作ってくれて、仕事をしてくれているおかげで、まもなく34歳にならんとする私は一度も働かずに自分の好きなことだけをやってこれている。感謝してもしきれない。
「親ガチャ」なる言葉の作成者にひとつ提案をしたい。当たりくじを多めに入れておけ。ことによったら、外れなしの全部当たりくじでもいいぞ。そうすれば皆がもっと楽しく「親ガチャ」という言葉を使うようになるだろう。そこかしこの家で「大当たり〜!」とベルの音が聞こえてくる。

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