「老いを撮る自撮りユーチューバーの時代になるカモ」~変化するコロナ禍の遠隔介護でわかったこと
親を見ていると、生きる道は死への道なんだなあ、と思うことがあります。
生きてるけど、それは死に向かっていて、死に向かってるけど、生きている。
イチローさん(89歳 父)は6月に入ってから絶好調で、勝俣さんみたいに「短パン」をお召しになり、そのファッションは施設でも女性受けが良いようでご満悦。
5月までは高齢者鬱で「死ぬ死ぬ」と言っていたのに、そうか、そうか生きてるって、こんな風にアップダウンしていくよね、と改めて思ったりしました。
自分はできるだけ、アップダウンないようにしたいなあ、と思っていましたが、これはこれで面白いもんだ、と思えるようになりました。そして、そんな風にちょっと『俯瞰』して自分の人生をみれたらいいなあ、思うのです。
人を通して、自分の事を俯瞰でみる(親のふり見て我がふりなおせ)はよくあるのですが、自分のふり見て自分をなおせ、、、は中々難しいなあ、と思っていたら
オトハルラジオ(みよしのやっている40代50代のココロとカラダと暮らしを応援するオトハル(オトナ思春期をデザインするプロジェクト)のラジオ)のゲストでお呼びした信友直子監督のお話の中で、監督の最後の作品は「老いゆく自分を撮る」という話は、大きなヒントになりました。
信友監督と言えば2018年に公開され、ドキュメンタリー映画としては異例の大ヒットを記録した『ぼけますから、よろしくお願いします。』の監督です。アルツハイマー型認知症の診断を受けた母親と、耳の遠い父親。広島県呉市で老老介護をする両親に、一人娘である監督がカメラを向けた作品。その続篇『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり、お母さん~』も3月より公開中。どちらも多くの人が「信友家」の話だけど「自分ごと」として感じる映画です。
その信友監督に最後にやりたいことは?とお伺いしたら
『自分の老いを撮りたい』と。
実は、信友監督のおばあ様もお母様も認知症になられて「もしかしたら自分も」という不安に駆られて時期もあったそうです。
が、「認知症になっていく自分を撮っていく」と思いついたら、がぜん、楽しくなってきた、と。認知症の人を他の人が撮ることはあっても、自分で認知症を撮るドキュメンタリーはなかったはずだ。一緒に仕事をしている若者が「私が編集します!」と言ってくれたようで、編集の不安もない。
「カメラ」というひとつレンズがあるだけで、事実を俯瞰して見える。
写真も良いけど、動画の方が、声が撮れるのがよい。
この自撮り、記憶は定かでないこともあると思いますが(笑)自分を自分で俯瞰してみる方法にこういう方法があったかと。
聞いてて私も楽しくなってきました。これからは、自分の年を重ねていく姿を撮る自撮りYouTuberの時代が来る気がします。それはカッコよくとかキレイにとかではなく、そのままでいることの方が、人に伝わることが多い事を『ぼけますから、よろしくお願いします。』の映画の中で、信友監督のお父様やお母様が証明しています。
信友監督のお母様が普段から、監督に言われていた
【泣いたり、悲しんでも問題は解決せんのなら、楽しゅう生きんと損じゃが】の言葉が大きく背中を押してくれます。
やっちゃえ!