変化するコロナ禍の遠隔介護でわかったこと 「年寄り笑うな行く道だもの」
「年寄り笑うな行く道だもの」は、永六輔さんの名著「大往生」の「無名人 名語録」に収録されている言葉です。
正しくは「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」の一説です。「子供叱るな来た道だもの」もすぐドキッとする言葉で、子どもや後輩のことも「確かに来た道」と思うと、「自分も若い時、メチャクチャしたもんなあ」とかクスッと笑えます。
そして、今のお年頃になるとより、「年寄り笑うな行く道だもの」が身に沁みてきます。
一番身近な『年寄り』はテルコさん(母 90歳)。レビー小体型の認知症です。親がなると自分もそうなるのではないか、と気する時期もありました。そんなわたしに、認知症だから幸せではない、というわけではない、と教えてくれたのが母の生きざまです。
母はたぶん、認知症になる前より、今の方が愛されている気がするのです。それは、認知症でありながら、彼女が「ありがとう」や「お世話になります」という言葉を施設のスタッフの方々にかけることと、とちょっと、ユーモアのセンスがあること。
母のために同じ施設にいるイチローさん(父 89歳)が毎日の逢瀬に行くと、最初は「あなた誰~??」とか言っているのですが、父が毎日持ってくるお饅頭だけは覚えていて「ちょうでぇ(ください)」気に入らないと「あげらぁ(差し上げます)」と意思表示。イチローさんが部屋を出ていこうとすると「もう少しおられ~(いてね)」と少し甘えたり、何とも絶妙なまわいです。
イチローさんの方は、プライドが高く、中々自分の老いを認めれず、鬱になり苦しんでいたのですが、最近、ディケアのスタッフの方から電話で「お父さんから『わしもようやっと、老いが認められて来て、気持ちが軽くなってきた、認知症の検査をしてみようと思うんじゃ』と言われたんですよ」と我がことのように喜んでお電話をいただき、(結果は認知症が始まるかどうかギリギリのとこ💦)89歳になっても成長していく様を見せてもらいました。
そうか、私もいくつになっても変わっていけるんだと。時間はかかりそうですが(笑)
「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」には実は次があり
「子供しかるな 来た道だもの 年寄り笑うな ゆく道だもの 来た道 ゆく道 二人旅 これから通る 今日の道 通り直しのできぬ道」
さあ、通リ直しのできぬ道を今日も元気に生きていきまいりますかあ。