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【復職日記】宝石のような悲しみと共に。

こんにちは。年明け最初のnoteです。
復職して丸2ヶ月が経過し、3ヶ月目に入りました。

年明けに出社すると、「あけましておめでとうございます!」という言葉が飛び交っていて気が滅入りました。
私は昨年の後期流産で我が子を亡くし、その後義祖父が亡くなり喪中だったので、自分からおめでたい挨拶をするのは控えておりました。
ただ、面と向かってはっきりと新年の挨拶をされると戸惑ってしまい、「おはようございます」を超早口で言って「あけましておめでとうございます」に聞こえなくもない感じで乗り切りました。
今、改めて口に出してみましたが全然聞こえないですね(笑)

もうじき、後期流産から5回目の月命日を迎えようとしています。
最近私の中でグリーフの変化が訪れているので、今日はそれについて書きたいなと思います。

復職して初めのころは、「私はこんなに悲しい経験をしたけれど、この悲しみはきっと周囲の誰にもわからないんだ」という、悲観的な感情を強く持っていました。「こんなに悲しいことがあったのに、なんで普通に仕事をしているんだろう。」という思いも強かったです。


それが最近は、「この悲しみは私だけの大切なもの」という気持ちに変わってきました。私の喪失感や苦しみは他人には分かりっこないですし、分かるよと言われても困ります。

Inside Out(邦題はインサイド・ヘッド)という映画を観たことのある方はイメージがわくかもしれませんが、悲しさを表すキャラクターであるSadness(カナシミ)が、主人公の頭の中で「悲しかった記憶」を大切にしているシーンのような感じです。
我が子のことを思い出すと悲しくなるのですが、悲しさだけではない、大切な私の記憶、私の一部になっているような感覚です。

良いことなのか悪いことなのかわからないけれど、私の中で後期流産が「思い出」になってきているのかもしれません。
もちろん、まだ思い出して辛くなったり涙が出てしまうこともあるのですが、涙を流す頻度は減りました。
思い出すたびに脳みそが勝手に綺麗な思い出にしよう修正をかけている可能性もあります。

自分の子供を宝物のように感じていますし、妊娠してからの一連の出来事も「悲しかったけれど大切な記憶」として宝物のように感じることができています。それは、決して明るいだけではありませんが、暗いだけでもなく、見方や場所によって輝き方が変わる宝石のような宝物だと感じました。

そんな気持ちがあって、この宝物のような気持ちをもっと大切にしようと、新年早々、我が子の誕生石がついた指輪を購入しました。
普段私はシンプルな結婚指輪しか指輪をつけていなかったのですが、新しく購入したこのジュエリーをとても気に入って身に着けていて、お守りのようにも思えています。はじめは「石が大きすぎるかな?」とソワソワしましたが、数日つけていたらすっかり馴染んできました。

幸い会社もネイルやアクセサリーについては厳しくないので、仕事中もつけています。
すっかり業務量が妊娠前に戻ったので忙しく、仕事をしていてイライラしてしまうこともあるのですが、このジュエリーのおかげで、PCを打つ自分の手元を見てニヤニヤできています。


5回目の月命日を終えたら、次は出産予定日だった日が訪れます。どんな気持ちで迎えるのかわかりませんし、「乗り越えよう」という気持ちもありません。
私はこれからも、この宝石のような悲しみと共に生きていくんだなと、ある種の覚悟が決まったような、そんな1年の始まりでした。


私は悲しみを「宝石」と比喩しましたが、この記事を読んだ方が抱える悲しみはもちろん全て違っていて、「地獄」とか「爆弾」などのように感じている方もいると思います。
悲しみは比べるものではないけれど、もしも配慮に欠ける表現だと感じてしまう方がいたら、せっかく読んでくださったのにごめんなさい。

今年もコツコツとnoteで記録を続けられたらいいなと思います。
よろしくお願いいたします。

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