魔法少女の系譜、その101~『ヤッターマン』~
今回も、前回に続き、『ヤッターマン』を取り上げます。
『ヤッターマン』は、二人主人公のガンちゃんとアイちゃんが、変身ヒーロー/ヒロインです。ガンちゃんがヤッターマン1号に、アイちゃんがヤッターマン2号に変身します。
二人の間には、上下関係や、能力差はありません。武器などに違いはありますが、二人とも、同じように戦います。
二〇一九年現在に見れば、アイちゃんは、立派な魔法少女です。しかも、ヒーローの少年(ガンちゃん)と対等に戦う、二十一世紀的な魔法少女です。
二〇一八年に、「男の子プリキュア」が登場して話題になりましたね。『ヤッターマン』は、それに、四十年くらい(!)先駆けています。ものすごく先駆的な作品ですね。
にもかかわらず、放映当時は、『ヤッターマン』は、魔法少女もの―放映当時の言葉では、魔女っ子もの―とは、見なされませんでした。
なぜなら、当時は、「戦う魔法少女」が、一般的でなかったからです。普通の視聴者には、アイちゃんが「魔女っ子」には、見えませんでした。
もう一つの理由は、『ヤッターマン』が、『タイムボカンシリーズ』というジャンルだと認識されたからです。
以前に書きましたとおり、『タイムボカンシリーズ』の型を決めたのは、最初の作品『タイムボカン』ではありません。『ヤッターマン』です。
・少年少女の二人主人公。
・敵役は、女性一人、男性二人の三人組で、女性がリーダー。
・二人主人公は、変身ヒーロー/ヒロインで、二人とも対等に、敵と戦う。
・作品のテイストは、基本コメディ。深刻な話にはならない。
・SF的要素と、アクション要素がある。
・主人公二人が乗るロボットがある。そのロボットには自我があり、しゃべる。
・奇想天外なメカが、毎回、新たに登場する。
・まるで『水戸黄門』のように、話がパターン化しており、そこからほとんど外れない。
これらが、『ヤッターマン』以降、『タイムボカンシリーズ』の型として、定着しました。例外もありますが。
『ヤッターマン』がヒットしたために、製作者側が、この路線を突きつめたんですね。放映され始めた当時は、他のアニメにはない、斬新さでした。おかげで、『タイムボカンシリーズ』という、独自のジャンルが生まれました。
『タイムボカンシリーズ』の人気が華々しすぎたため、『ヤッターマン』とそれ以降の作品は、『タイムボカンシリーズ』というジャンルとしか、見なされなくなってしまいました。このために、大量のロボットが登場するのに、「ロボットものアニメ」とは見なされませんでしたし、「魔女っ子もの」の要素があることにも、気づかれませんでした。
『タイムボカン』と『ヤッターマン』とを比べると、大きく違う点が、二つあります。
・二人主人公は、変身ヒーロー/ヒロインで、二人とも対等に、敵と戦う。
・まるで『水戸黄門』のように、話がパターン化しており、そこからほとんど外れない。
の二つです。
この二つの要素こそ、『ヤッターマン』が『タイムボカン』から書き換えて、新しくした点です。この二つの要素のおかげで、『ヤッターマン』は、『タイムボカン』以上に、ヒットしたのでしょう。
少年と少女が、共に、対等に戦う点は、とても現代的ですね。
ですが、話がパターン化した点は、とても古風です。口承文芸の時代に戻ったかのようです。
『ヤッターマン』には、このように、非常に新しい要素と、古い要素とが、パッチワークのように接ぎ合わされています。ここが、上手いなあと思います。
ガンちゃんとアイちゃんがなぜ変身できるのか、二人の日常生活はどうなっているのか、普通の中学生のガンちゃんとアイちゃんに、なぜ、ヤッターワンのような「すごいロボット」が作れるのかといった点は、すべて、切り捨てられています。描写されません。「こういった部分は、視聴者にとって、特に美味しくないから」と、割り切られています。
その代わり、『ヤッターマン』は、「パターン化した話の楽しさ」を提供しました。「こういうもの」というお約束が確立すれば、それにのっかって、「お約束の笑い」を提供することができます。内輪ネタを使い放題です。
これは、口承文芸が栄えていた頃の、お話の楽しみ方ですね。
とはいえ、『ヤッターマン』が放映されたのは、一九七〇年代です。古風なだけでは、視聴者は、ついてきません。
視聴者を飽きさせないために、『ヤッターマン』には、以下のような工夫がありました。
・奇想天外なメカが、毎回、新たに登場する。
・芸能界、スポーツ界、一般社会のニュース、歴史、映画などのパロディをふんだんに取り入れる。
この路線が、とってもウケました。話が同じパターンでも、いえ、だからこそ、視聴者は、安心して、ついてきました。
今回は、ここまでとします。
次回も『ヤッターマン』を取り上げます。