なんとかなる
なんとかしてきたし、なんとかなってきた。私の意思でもあったし、環境でも、運でもある。
なんとかなるという言葉を、他人の生活を脅かすことなく、自分もそれを保てているくらいの意味で使ってる。
嫌なことから逃げて逃げて逃げてここまでやってきて、もう逃げ道がないから、最近は迷うことが少ない。
迷うっていう行為は、何をするか決めるよりも何をしないか決める工程のほうが遥かに多い。
時間、お金、感情、体力などのコストを仕事にいっぱいいっぱい使ってるため、迷いは発生するものの、そこに使うと足りなくなっちゃうなとなってしまうのでそんなに迷う余地がない。
最近はギリギリすぎる気もするのでもうちょっとコストに余地があってもいいんだろうな。noteを書くくらいの余地はほしい。
なんとかならなそうなとき、真っ先に犠牲にするのは感情と体力、つまり自分自身で、それはもしかしたら、お金とか時間みたいに数字がないからかもしれない。
私が諦めるという選択を取らずにがんばっちゃうとき、過去に成し遂げてきた経験から「なんとかしてきた/なってきたからこれもいけるだろ!」と感情を黙らせて体力のリミッターを外す。
人生も折り返し地点に差し掛かった今、たぶんこれ以上実績を積み上げて、無理をするための根拠にしていくことはあんまり良くない。
体は衰えていくので、過去の実績などそのうち当てにならなくなる。高齢ドライバーがある日ブレーキとアクセルを踏み間違えで誰かを殺してしまうように、これを続けていると私の終わりはいきなり訪れるかもしれない。
でも、そんなふうにはなりたくないなぁ、上手に安全に誰も傷つけずに少しずつできることを縮小して衰えていきたいなぁと思う。いつか、跡形もなく消えたい。そして、それもまたなんとかなりそうな気がする。いままでなんとかなってきたからな。