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さよならパンツ

本来運動神経がそこまでよくはないものの、ひかりがこだまの真似をして始めたバレエ。何が楽しみって、舞台の上で浴びるスポットライトと、普段は遠くから見つめるだけの上級生に混ざって一緒に何かできるという一体感。引っ詰めたおだんごと舞台メイクの独特な香料にもワクワクした。

イベントや節目に何かを新調するのは、昭和ならではの縁起担ぎかもしれないけれど、発表会のためにと買ってもらった新しいパンツは、スポットライトと並ぶほどの隠れワクワクポイントだった。だって、バックプリントに女の子が描かれてるキャラパンだったんだもの。キャラクターグッズはダサいという理由で、「キャラもの」禁止令が敷かれていた横浜家では、ウヒョウヒョの盛り上がり。勝負パンツであった。

そんなノリノリ調子で迎えた発表会。慌ただしくも段取り通りに化粧も着替えも済んだひかりのグループは、ゾロゾロと舞台袖に連れていかれた。本番中の照明の光が差し込むその非日常的な空間には、偶然にも憧れすぎて言葉も交わせないお姉さんたちもいて、出番待ちのひかりたちと一緒に遊んでくれるという大特典が付いていた!ここぞとばかりに、もたれた~り、抱きついた~り、ぶら下がった~りを繰り返しながら夢時間を満喫。ただ、一つ大事なことに気づかないふりをしながら…。

ああ!あまりに楽しいヒトトキ!密かに忍び寄るトイレサインに気づいてはいたものの、またとない機会である「お姉さんと遊ぶ」に、いとも簡単にかき消されて行った…。

が、やはり完全には消え去らない、このトイレサイン。なかなか言い出さずに遊んでいると、「ひかりちゃん、トイレに行きたいの?」と逆にお姉さんに切り出されてしまった。もぞもぞ、ぐずぐずの不審な動きの原因は、だれの目にも明らかだよね。ようやくトイレへ向かうことになったものの、正直言って、すでにいろいろギリギリだ。舞台裏の細い通りはまるで迷路のようだし、トウシューズは階段でツルツルすべる。果たしてトイレまでひとりでたどり着けるのか、さらに戻って来れるのかもわからない。急な不安に包まれながら小走りするひかり。履き慣れないトウシューズに足がもつれる…。
あ、あ、あ。

!!! なぜか、終了のゴングが聞こえた、ような気がした。

道半ば。急いだ甲斐もなく、忍び寄っていたトイレサインは「ゴング」という化身を生み落とし、あっという間にどこかへ行ってしまった。
さいなら~。

残されたのは、「ゴングの化身」とそれを包み込む勝負パンツだけ。でも、考えている暇はない、本番だ!突然湧き上がった不思議な集中力と使命感で舞台袖まで戻り、チュチュの下に「大きなコブ」をぶら下げたような状態で、実にしら~っと、何事もなかったように気丈に本番を踊り切った(と思う)。

本番後、控室で待つヨーコの元へ。

早速、コブをぶら下げたまま事情を話すと、怒られると思いきや、黙ってグイグイとトイレへ引っ張られていった。この時のひかりの心境といえば、恥ずかしさでも、悲しさでもなく、本当の意味で本番が終わったような深い安堵の気持ちだった。ただ、なんてったってヨーコは容赦ない。個室に入りゴングの化身とパンツのカップリングを目撃するや、手慣れた調子で、くるりっとパンツで包みあげ、あっという間にまとめてゴミ箱にポイっと投げ入れてしまった。パンツのバックプリントとして描かれたおかっぱの少女は、カタンっという音とともにホーロー製の三角コーナーへと消えていった。一連の機械的な動作が終わり、フタがしまったその時、ひかりの目からは涙がこぼれた…。

念願のチュチュとトウシューズで、満喫するはずの晴れ舞台に緞帳が降りたその向こうで、アナザーストーリーにも幕が降りた。。。おろしたてのキャラパンと無念のトイレ事件。一大イベントだったバレエの発表会の思い出は、ほろ苦い涙と一緒に綴られたのでした。

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