本来運動神経がそこまでよくはないものの、ひかりがこだまの真似をして始めたバレエ。何が楽しみって、舞台の上で浴びるスポットライトと、普段は遠くから見つめるだけの上級生に混ざって一緒に何かできるという一体感。引っ詰めたおだんごと舞台メイクの独特な香料にもワクワクした。 イベントや節目に何かを新調するのは、昭和ならではの縁起担ぎかもしれないけれど、発表会のためにと買ってもらった新しいパンツは、スポットライトと並ぶほどの隠れワクワクポイントだった。だって、バックプリントに女の子が描
「これにするか!」 ユタカの鶴の一声で、のぞみの誕生日プレゼントは、、、なんと、マイメロディのぬいぐるみに即決した。ダークホースならぬ、ホワイトラビット。。。 ことの顛末はこうだった。 前にも言ったけれど、ユタカは子供ライフとの接点が少ない父親だった (「片腕のココロ、子供ゴコロ」読んでね)。でも、正月やクリスマス、そして娘の誕生日近辺となると、ぐぐっと存在感と会話の数もアップした。なぜって、横浜家の大蔵省はユタカだったから…。そして、夏休みに三姉妹の誕生日が集中してい
ユタカの実家で法要。次女のひかりがまだ小さな赤ん坊で手が離せなかったヨーコは、長女のこだまを代打に立てて出席させることにした。 こだま4歳のころ。 素直で手のかからなかったこだまは、母が来れなくとも文句も言わず、父とふたり静かに電車に揺られた。4歳児にはなかなか遠い、2時間近くの電車の旅だった。 ユタカの実家へ無事到着する。田舎の本家は、人で溢れていた。小さなこだまを気遣う余裕はなく、法事の準備に動くたくさんの大人たち。人見知りで無口、名前を聞かれても答えられないような
横浜家の父・ユタカは、テレビ局のアナウンサーだった。いわゆる業界人だったので、子供の登校時は寝ていたし、夕食時には不在、帰宅は子供たちが寝てからと、とにかく、子供ライフとの接点がとても少ない人だった。 休みも不定期で、週末はいないことがほとんど。仮にいても昼頃まで寝ていたり、書斎にこもって何かしている感じだった。ただ、記憶の中では、数えるほどではあったけれど突然休みになることもあり、家族と一緒に時間を過ごすこともあった。 ヨーコによれば、ユタカは本来、子煩悩な人だったらし